どんな人にも生きる意味があると説かれた親鸞の教えとは

AIになく、人間しか持たない、人間の人間たるゆえんを説く仏教・ブッダの教え

 
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菊谷隆太
こんにちは、菊谷隆太です。 東京、大阪、名古屋を中心に仏教講座を主催する仏教講師です。 専門は浄土真宗で、「教行信証」「歎異抄」を学び、皆さんにもお伝えしています。 このサイトは「どんな人にでも生きる意味がある」と宣言された親鸞という方の教えを知っていただきたいと思い、開設いたしました。

AI(人工知能)時代が到来し、「人間とは何か」という、人間の人間たる根源、人間の本性、人間の尊厳、がますます問われるようになると予想されています。
そこで今回はブッダが説かれた仏教の視点から、AI(人工知能)と人間の幸福について語ります。

 

AIに絶対判断をゆだねてはいけないところがあると説く仏教・ブッダの教え

 

将棋の対局でAI(人工知能)は、将棋を知っている人なら、絶対指さないような「イミフな手」を時々指すそうです。
単に「悪手」というのではない。悪手は、その人の浅はかな考えから打った手だから、なぜその手を打ったか、理解はできます。
「イミフ(意味不明)な手」は、誰も分からない手のことで、将棋の世界に生きる人にはあり得ない手なので、「これはAIの誤作動(エラー)か」と思うそうですが、手を指し進めていくと、「あの一手が今ごろになって効いているなあ」となってくるそうです。

 

AIの波は将棋だけでなく、さまざまな世界に押し寄せています。
受験の家庭教師も、スポーツのコーチも、AI(人工知能)が課題も長所も、そのために今すべき勉強も練習も、適切に判断してくれるようになりました。
やがては国の政策も、人工知能を師匠として立案、決定するようになり、さらには赤ん坊の頃から人工知能が将来の適性を判断して、何を学ばせ、どんな教育を受けさせるか決定する、という時代がやってくるかもしれません。
そこまで想像してみると、だんだん怖くなってきますね。
手塚治虫の「火の鳥未来編」では、国の政策はすべて人工知能が判断する世界となり、その人工知能が核戦争を判断し、人間がその判断を却下したくても、誰も逆らえず、世界は全面核戦争になるという漫画でしたが、現実味を帯びてきました。

 

人工知能は局地的なアドバイザーとして有効なのは明らかです。
将棋なら「こちらの王を取られずに、向こうの玉を取る」という目標に向かって、スポーツなら「金メダルを取る」という目標に向かって、受験なら「東大合格」という目標に向かって、という限られた範囲のアドバイザーとしては、です。
しかしこれが、赤ん坊の適性や国の政策という段階になると、「人生の目的」「本当の幸福」とは何か、という哲学的な問いに直結してきますので、機械にゆだねてよいか、という問題があります。
たとえばある赤ん坊が、人工知能によって、工学方面に進むのが一番適正だと判断された。ところがその子が成長して、画家になりたいと言ってきた。その場合はどうするか。
人間の幸福とは何か、が問われます。

 

国の政策でも、局地的な目標としては、経済発展や軍事増強が挙げられたとしても、究極の目的は「国民の幸福」ですから、そもそも人にとって「幸福」と何なのか、が問われます。
「幸福」を論じれば、そこには理屈ではどうにも割り切れない情、自殺の是非、一個の人間の尊厳とは何か、死んだらどうなる か、の不安などを深く掘り下げなければならないのは当然で、そこに目を向けない、不問にするような機械には、自分のたった一度の人生を、絶対ゆだねることはできません。

 

AIが鬼ではなく、人の心に鬼が住むと説く仏教・ブッダの教え

 

識者の中には、AI(人工知能)の神格化を恐れる声もあがっています。
政治家がプログラムをいじって、恣意的な結果を出せるにもかかわらず、「これはAIに基づいた判断だ」といえば、反論しにくくなり、その主張が通ってしまう世の中になるのでは、という危機感です。
ちょうど権力者が巫女や預言者と結託し、「ご神託があった」として、自分の主張を通そうとするようなものです。
歴史上、何度も繰り返されてきたことが、今度は「AIのご神託」となって表れるのではないか、という危惧です。

 

確かにAIの暴走を危惧するSFよりも、当面すぐに起きてくることは、AIを用いて私腹を肥やそうとする人間の暴走でしょう。
本来、科学技術は良いものでも悪いものでもありません。

「ナイフはパンを切ることができるが、人を殺すこともできる」

ナイフ自体に善し悪しはありません。
それを使う人間の心によって、便利な道具ともなり、凶器ともある。
それと同じで、AIが恐ろしいというよりも、AIを利用する人間の心に怖ろしい鬼が棲むのです。
釈迦は、人間の【欲】と【怒り】と【愚痴】を、青鬼・赤鬼・黒鬼と教えられています。
こんな時代だからこそ、一人一人が自己の心を真面目に見つめ、どうしたら鬼の心を持った私たち人間が幸せになれるか、考えていかねばなりません。

 

 

人類はAIに追従するか。仏教・ブッダの見解とは

 

AI(人工知能)の進化はめざましく、将棋の名人を破り、囲碁の最強棋士を破りました。
それでふと興味を覚えたのですが、「麻雀だったらどうなんだろう」と。
将棋、囲碁の場合、常に最善手を目指し、緻密に積み上げていく対局の性質上、人工知能の得意分野だと思います。
しかし麻雀の場合、不規則な確率に左右されますし、また対局する人物も、リスク回避で「降りる」人から、大胆に「突っ張る」人、流れを引き寄せようと「回す」人などいろんなタイプがあり、常に最善手を選ぶ人だけではないので、その人物観察眼も要求されます。
さらに、その対局の真剣度によっても打つ手は変わりますし、あるいは一局の中でも流れの中で、相手の気が大きくなったり、萎縮したりして、これまた打つ手は大きく変化します。
このように麻雀には緻密な論理性だけでなく、各人の持つ胆力、心理分析力なども用いての戦いなので、果たしてそれをAIが分析、対応できるのか、と考えていくと、面白そうです。
それでもやがては、特殊カメラで人物観察し、その人の体温の上昇や、眸の瞳孔がどう変化したか、など、あらゆるデータから相手の心理状態を分析し、出す手を読み、勝ってしまう時代が来るのだろうなとも思います。

 

よくAIが首相になったり、社長になる可能性が論じられますが、ビジネスにしても、政治にしても、囲碁や将棋よりも麻雀的な要素が大きいと思いますので、雀士最強とのAI対局は、人工知能の進歩に大きな貢献を果たす、のではないかと思います。
ビジネスでもやがてAIが、顧客の心の動きを察知して営業を仕掛けたり、政治でも各国首脳の動きをAIが多角的に分析して政策を決めたり、あらゆる面で人工知能の決定に、人間が追従する時代が来るやもしれません。

 

そうなってもなお、人工知能にはもう真似できない、人間ならではの尊厳の理由は、あるのでしょうか。
仏教の答えは「ある」です。

『人身受け難し 今すでに受く』
(よくぞ人間に生まれたものぞ)

人命の尊厳があることを釈迦は教えられていますが、その【どんな人工知能も持たない人間の尊厳の理由】とは何でしょうか。

 

 

AIに真似できない人間の人間たるゆえんを説く仏教・ブッダと教え

 

AI(人工知能)の進化により、映画「ターミネーター」の世界が現実味を帯びてきました。
映画に出てくるコンピューター「スカイネット」は、自己のためにもっとも優先する活動が設定されており、自らを破壊しようとする存在「人間」の完全滅殺を目的とする、というストーリーでした。
シュワルツネッガー演じるターミネーターは、人間のリーダーを殺すためにプログラムされた人工知能搭載のロボットです。
自己の目的推敲のために、どんな危険な目に遭おうとも、表情一つ変えずに一途に突き進み、たとえそのことで死ぬことになろうと、少しも恐れません。
サボったり、他事を考えたりすることも、瞬時もありません。

 

人間はこういうわけにはいきません。
目的を果たすために頑張っていても、苦しくなると「こんなに苦しいのに、なぜこんなことをしなければならんのか」と虚しい気持ちになりますし、死にそうな目に遭えば「こんなことで死んで、オレの人生はいいのか」と思い、躊躇してしまいます。
お前の存在理由はその目的を果たすためだ、とどれだけ合理的な説明を受けて、納得したつもりになっても、「でも、なんでこのために生きねばならないのか」との思いがまた出てきます。
ここに人間の「弱さ」がある、ともいえます。
そのような疑問を持たない人工知能は「強い」ともいえます。

 

しかし一見、人間の弱い面と思われるここにこそ、人間の尊厳がある、と仏教では説きます。
どれだけ人工知能が、人間の頭脳の及ばぬ力量を発揮したとしても人工知能は「こんなに苦しいのに、なぜこんなことをしなければならんのか」と思いませんが、人間は考えずにおれません。
人工知能は「いったい私は死んだらどうなるのだろうか?」と自問しませんが、人間には、厳としてこの問いがあります。
そしてこれらの問いを真正面から見つめ、ハッキリと答えを示す仏説を「聞きたい」という聞法心も、人間ならではの心です。

 

生きる意味に悩み、死んだらどうなるかが不安になり、仏法を聞き求め、絶対の幸福に救われた時、

『人身受け難し 今已に受く 仏法聞き難し 今已に聞く』(釈迦)
“人間に生まれてよかった。 聞き難い仏法がどうして聞けたのか”

人命の尊厳がはっきり知らされるのです。

 

 

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