どんな人にも生きる意味があると説かれた親鸞の教えとは

9月1日問題を解決し、青少年の自殺を止めるにはまずここから考えるべき

 
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菊谷隆太
こんにちは、菊谷隆太です。 東京、大阪、名古屋を中心に仏教講座を主催する仏教講師です。 専門は浄土真宗で、「教行信証」「歎異抄」を学び、皆さんにもお伝えしています。 このサイトは「どんな人にでも生きる意味がある」と宣言された親鸞という方の教えを知っていただきたいと思い、開設いたしました。

死に急ぐ子供たちをどう話をしたら止めることができるのでしょうか。
彼らを自殺へ、といざなうものはいったい何なのでしょうか。
ここがはっきりしなければ、自殺防止の取り組みの議論も不毛に終わります。
仏教の観点からこの問題にメスを入れます。

 

9月1日問題の根本的な解決へのアプローチ

 

9月1日が一年間でダントツに子供の自殺が多くなる日だというところから名付けられた「9月1日問題」が、最近メディアで取り上げられるようになってきました。
お盆が過ぎ、甲子園が終わる頃になると「そろそろ夏休みも終わりだなぁ。宿題どうしよう」と子供の心が憂鬱になってきますが、宿題でため息つくくらいなら問題はない。クラスでいじめにあっている子、うまく友だちが作れない子の、夏休みの終わりの憂鬱は「いっそ死んでしまいたい」と思い詰めるほど深刻です。
新学期が始まるのが嫌で嫌で仕方なく、9月1日前後に自ら命を絶つ子供もたくさんいるのです。

 

若者の自殺ほど悲惨なものはありません。
「これからだというのにどうして…」と周りの人を苦悶の底にたたき落とします。
知人が「子供が親より先に死んではダメだよ」と言っていました。
子供を亡くして親が喪主となる葬儀に参列し、強く思ったそうです。
親族の悲しみ、とりわけ親のそれは痛々しいほどで、その場に居るのもいたたまれなくなるほどだとか。
ましてやその子供の死因が自殺だったとなれば、なおさら悲惨なものになるのは言うまでもありません。

 

前途ある子供たちがどうして、と大人も頭を抱え、なんとかせねばと国も問題視するようになり、文科省は各方面に対策を打ち出しました。
学校では教師が、夏休み明けの子供の表情をよく見て異変はないか、関心を払うよう指導され、保護者である親も、子供の様子におかしなところはないか、よく観察するよう喚起され、最近ではネットパトロールという対策も講じられています。
「死にたい」とTwitter などのSNSでつぶやく青少年のツイートに察知し、見逃さずに対処していくという取り組みです。
このように様々な対策が国の予算が使われ、実施されてはいるのですが、その成果は一向に実らず、子供の自殺は年々右肩上がりで増え続け、過去最多を更新し続けています。

 

なぜ子供の自殺が止まないのか、それは根本的な対策がまったくなされていないからだといえます。
学校や親の監視、ネットパトロールなどの対策も無意味とは言いませんが、根本的な対策とは到底言えず、その場しのぎの付け焼き刃的な対策でしかありません。

 

では根本的な対策とは何か。
ずばりそれは「なぜ自殺してはいけないのか」
これを子供に教えることではないでしょうか。

 

ここが教えられていないのに、なぜ自殺を止められるでしょうか。
学校も、親も、子供を教育するところです。
「なぜ自殺してはいけないのか」
学校の教師である以上、親である以上、この問いの答えを明らかにしなければならないのに、その根本的な部分が全く教えられていないのです。

 

子供が万引きをするとしたら、万引きしないよう対策のために店の人は監視を強め、防犯カメラを設置し、万引きはやめようというステッカーを陳列棚に置く、もちろんこれも対策ではありますが、それは副次的なことで、何より子供にわかってもらわなければならない根本課題は、「なぜ万引きはいけないのか」の教育です。
これを分かるように子供に話をしなければならないのが、大人であり、社会の責任です。
子供が「本当にそうだな」と胸にコトッと落ちるまで、です。
それでこそ子供は万引きを止めるのですから。
同様に子供が自殺するのを食い止める根本的な対策は「なぜ自殺してはいけないのか」ここを徹底して分からせることではないでしょうか。

 

しかしここで問題になることがあります。
それは「なぜ自殺してはいけないのか」というこの問いに、大人が自信を持って答えられるだろうか、ということです。
この問いに真正面から答えようとすると、簡単ではありません。
文科省の官僚や政治家、学校関係者だけで解決できる問題とは違います。
簡単でないどころか、古今東西の人類の最大の疑問、「何のために生まれてきたのか」「なぜ人は生きなければならないのか」と取り組むことになるからです。
それをフランスの作家、アルベール・カミュ『真に重大な哲学上の問題はひとつしかない。自殺ということだ』『人生が生きるに値するか否かを判断する、これが哲学の根本問題に答えることなのである』と言っています。
「なぜ自殺してはいけないのか」は言い方を変えれば「なぜ生きねばならないのか」です。
9月1日問題とは、「なぜ生きる」という哲学の根本主題が問われている問題なのです。

 

命の尊さを育む教育に力を入れているのに、なぜ自殺が止まないのか

 

ただでさえ少子化が進む日本で、国の宝である子供たちが、みずから命を絶つ現状は放置できる問題ではありません。
文科省も種々の対策に乗り出していますが、毎年「十分な対策とは言い難い」との反省で締めくくられる現状が続いています。
自殺した青少年と関係した人は誰しも前途ある若者の自殺に胸を痛め、どうしたら止めることができたのだろうか、今後同じような悲劇を繰り返さないために自分ができることはなんだろうか、悩まずにおれないでしょう。

 

特に親の悩みは格別です。
子供が「死にたい」と言うと、言われた親は胸のつぶれる思いがします。
つい感情的に「ダメだ」と頭ごなしに言ってしまうものです。
親の気持ちからすると「こんなに大切に育ててきたのに」「こんなに愛してきたのに」と、裏切られたような気持ちになるのでしょう。
それで「とにかくダメだ」と声を荒げてしまうのですが、この言葉は世の識者によれば、「得策ではない」とのこと。

 

子供からすると「ダメだ」と言われたら「何でダメなの?」と返してくる。
返さなくても、心で思っている。
自殺がダメなことぐらいは子供も頭では知っているのです。
「自殺はダメだ」と学校でも親からも何度も聞かされますから、子供もダメなことだと言葉では知っています。
家族にも迷惑かける、周りにも辛い思いをさせるのもわかりますから、子供でもダメなことだと思っている。
だけど「死にたい」。
「いやダメなんだ」「でも死にたい」
そういう葛藤を繰り返し、何度も眠れぬ夜を過ごしてきたその結果、ついもらしてしまった「死にたい」なのですから、そんな子供に頭ごなしに「ダメだ」と言えば、悶々と悩み続けた「何でダメなの?」との問いが、口について出てくるのです。
そう言われた時どう答えますか。

 

「人命は尊いからダメなんだ」「かけがえのない命なんだから、そんなことしてはいけない」と言う人もあります。
「限られた一日一日なんだから、大切に」とか「生命は何兆分の一の確率の奇跡的で神秘的なものだ」とか「あなたの今日の一日は、昨日死んでいった人がどうしても生きたかった一日なんだよ」とか、言い方はいろいろありますが、「人命は尊い」と言葉を換えて言っているのです。
そう言われると子供はこう反問する、「なぜ尊いの」と。
子供も命が尊いという言葉は知っています。
「人命は地球よりも重い」
「人間は生まれながらにして犯しがたい尊厳を有している」
こういう言葉も聞いてます。
でも思うのです。「なんで尊いんだろう」と。

 

かけがえのない尊い命なんだよ、と言われて、そうだな、と思えればいいのですが、そう思える心があるだろうか
命は尊い、人命は尊厳であると言葉としては聞いていても、本当のところ何で尊いんだろうか、ここがかわからない。
だから「人命は尊いから自殺はダメだ」と言うと「何で尊いの?」と返ってくるのです。

 

なんで生きる事は素晴らしい事なのか、と問われて「こうだから素晴らしいんだ」「こういう理由で人間が生きるのは素晴らしいんだ」と主張できる人はあるでしょうか。
だいたい命は尊いと答えている大人は、そんなに1日1日の命をかけがえのないものとして大切に生きているだろうか。
ここかしこで「死んだ方がましだ」「さっさと生きてさっさと死にたい」という言葉が飛び交っています。
「PPK」という言葉があります。
「ピン(P)ピン(P)コロリ(K)」ということで、高齢者にとって、身体がピンピン元気で、何でも食べられ、旅行も行けて、ある日コロリと死ぬのが一番いい、ということです。
長患いで寝たきりにでもなって、チューブで栄養取ったり、胃から直接食べ物を摂取するようになってまで生きたくない。
入院してなけなしの貯金も崩して、子供や孫にまで介護のために迷惑かけ、疎んじられるくらいなら死んだ方がましだ、そんな思いをしてまで生きたくない、ということなんですが、一言で言うと、「苦しくなったら死んだ方がましだ」ということです。
子供たちも苦しいから死んだ方がましだ、と自殺を思い詰めているのですが、止めようとする大人も、苦しむくらいならコロリと死にたい、死んだ方がましだ、と言っているのですから、子供たちの自殺を止められるはずがありません。

 

高齢者だけなく、働き盛りの社会人も生きる意味が感じられず、苦しむ人が多くあります。
目覚まし時計で無理矢理起こされ「あーあ、もう朝か」と何度ため息をついたことか、日曜日の終わりには「あーあ、また月曜日か」とどれだけため息をついてきたことだろう、毎日毎日をかけがえのない大切な日々だと思って過ごしている人はどれだけいるだろうか。
一年間における10代の自殺が550人に対し、その親の世代、教師の世代である40代の自殺は3800人です。
命を尊いと思えない大人は子供以上に多いという統計です。

 

「なぜ自殺してはいけないのか」
「なぜ苦しくても生きねばならないのか」
知らないのは大人も子供も本質的には一緒なのです。
命の尊さに無知だから「PPKがいい」「死んでもいいじゃん」と言えてしまうのです。
苦しみに耐えてでも生きねばならない理由を知らないからです。
この大問題にはっきり納得できる答えを知りたい人に聞いてほしいのがブッダの教えであり、日本に現われた親鸞聖人の教えです。

 

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