どんな人にも生きる意味があると説かれた親鸞の教えとは

愛別離苦を乗り越えるブッダの教えとは

 
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菊谷隆太
こんにちは、菊谷隆太です。 東京、大阪、名古屋を中心に仏教講座を主催する仏教講師です。 専門は浄土真宗で、「教行信証」「歎異抄」を学び、皆さんにもお伝えしています。 このサイトは「どんな人にでも生きる意味がある」と宣言された親鸞という方の教えを知っていただきたいと思い、開設いたしました。

仏教に『愛別離苦』という苦しみがある、と説かれています。
古今東西の人類が避けることができない八つの苦しみの一つが『愛別離苦』です。
文字通り『愛する人と別離しなければならない苦しみ』のことです。
今回は愛別離苦の実態をお話しし、どう向き合うか、学んでまいります。

 

「しゃぼん玉」の歌詞に見る愛別離苦

 

しゃぼん玉とんだ 屋根までとんだ 屋根までとんで こわれて消えた

 

よくうたわれる「しゃぼん玉」のはじめの一節です。
作詞は野口雨情。
大正九年、雨情は童謡の全国キャンペーンをしていました。
ちょうど四国徳島にいた時です。
そこに故郷の茨城から、二歳になったばかりの娘が、疫痢(えきり)で急死したという悲しい知らせが届きました。
愛し子を失った悲しみ、あまりにもはかなく消えたわが子のいのちへの愛しみが、この童謡を生みました。

 

雨情は続いて第二節にこう歌っています。

しゃぼん玉消えた とばずに消えた 生まれてすぐに こわれて消えた

風、風吹くな しゃぼん玉とばそ

 

雨情はこの短い一節のなかに「消えた」という語を三回も用いています。
幼ない愛し児を失った雨情の悲しみがどれほど深いものであったか、うかがえます。
仏教ではこの苦しみを『愛別離苦』といいます。

 

想定外の愛別離苦に苦しむ

 

リューマチで絵筆を握れなくなった晩年のルノワールは、筆を持つ手を包帯でグルグル巻きにして、執念でキャンバスに向かい続けました。
才能を発揮できない無念さを、次のように語っています。

手足がきかなくなった今になって、大作を描きたいと思うようになった。
ヴェロネーゼや、彼の『カナの婚礼』のことばかり夢みている!なんて惨めなんだ!

 

私たちは自分の手や足は、自分の思い通りに動くと信じて疑わず、毎日生活しています。
「愛するあの人は自分の思い通りにならない、会社の部下は言うこと聞かない、でも自分の、この手や足はいつも自分の思い通りに動いてくれる」と当たり前のように思っているのですが、ある日突然、この手や足までもが自分の思い通りに動かなくなってしまう時がきます。
「今まで体が自由に動かせるのは、当たり前ではなかった」と痛感するときがあります。
ルノワールなら、そのときになって始めて「絵筆が自由に握れるときにあれも描いておけばよかった、大作も描きたかった」と煩悶したのでしょう。

 

『ロード』という歌の歌詞に「何でもないようなことが幸せだったと思う」とあります。
あの時、部屋に帰れば明かりがついていて「おかえりなさい」と出迎えてくれた、あの「なんでもないようなこと」が幸せだったと、失って始めて気づく。

 

大切なものが大切なものとわからず、失ってしまったときに、如何に自分がそのことを支えにしてきたか、頼りにしてきたか、取り返しのつかないことをしてしまったか、初めて思い知らされるものです。

 

「いつまでもあると思うな親と金」ということわざもあります。
いつもは口うるさい親も、失ってはじめて如何に大事にされてきたか、支えてもらっていたかわかる、そして孝行できなかった自分に悔やんで泣くのでしょう。
お金もある間は何の気なしに使いますが、無くなって節約を迫られて、始めて金の重みを知るものです。

 

いろいろな事例をだしましたが、健康も、恋人も、親も、金も、わが身から離れ、悲しみに沈むときになってはじめて、いかにそれを愛し、支え、頼りにしてきたか、骨身にしみます。

 

愛別離苦を予感して一緒にいる時から不安になる

 

私よりもう一つ前の世代の人なら誰でも知っている、南こうせつの『神田川』は、しみじみと聴かせる歌詞です。
神田川のほとり、三畳一間のアパートで若い男女で同棲しているのですが、その女心を歌ったものです。
なんといってもあのフレーズ

若かったあのころ 何も怖くなかった ただあなたのやさしさが怖かった

ここが白眉だと思います。

 

「若かったあのころ 何も怖くなかった」
何も怖くない、と言い切る彼女の強さはどこから来るのでしょうか。
留年も怖くない。中傷も怖くない。親から勘当されるのも怖くない。
なぜ怖くないのか。
それは「あなた」がいるから。

 

「ただあなたのやさしさが怖かった」
ただひとつ怖いのは、あなたの一挙手一投足だった、ということでしょう。
「あなた」という支えがあるなら、あとは何も望まない、貧乏でもいい、友達がいなくてもいい、誰からあきれられたっていい、怖くない、だってあなたがいるから、というそんなすっかり身をゆだねる心情が深ければ深いほど、その支えを失った時の悲しみや苦しみは、言葉にできません。
だからこそ「あなたのやさしさがこわかった」あなたの心変わりがこわかった、あなたの表情や態度にびくびくしていました、ということでしょう。

 

どんな幸せも続かない、一朝の夢、一夕の幻、線香花火のようにはかないものとわかるから、それを予感して、愛している人と一緒にいる最中から、心からの安心ができず、恐れおののき続けている、そんな存在が私たちだと仏教では説かれます。

 

愛別離苦はあまりにも早くやってくる

 

親鸞聖人は35歳の時、越後(今の新潟県)に流刑になられました。
時同じく、75歳の恩師・法然上人は、土佐(高知県)に流罪となっておられます。
遠く分かれて西・東、親鸞聖人は生木引き裂かれる痛恨の思いを、一首の歌でしたためられています。

会者定離 ありとはかねて 聞きしかど 昨日今日とは 思わざりけり

短いお歌ですが、親鸞聖人の身の置き所のない悲しみが伝わってくるようです。

 

「会者定離」とは仏教の言葉で、出会いには必ず別れがある、という意味です。
好きな人とはいつまでも一緒にいたいのはやまやまですが、現実はそれを許しません。
会者定離の世の中、必ず別れが訪れます。
だから人は生きる限り、愛別離苦の悲しみからは逃れられません。

 

9歳にして仏門に入られ、かねてより「会者定離」の仏説をよく聞いておられた親鸞聖人ですから「会者定離 ありとはかねて 聞きしかど」と言われているのですが、あまりにも法然上人との別れはつらく、とても会者定離の現実を受け止めきれなかったからでしょう、
そのあとに「昨日今日とは思わざりけり」と、痛恨の思いを詠まれています。
「覚悟していたことではございますが、あまりにも……、あまりにも、早すぎます……」
聖人にとって、法然上人との別れは断腸の思いでした。

 

親鸞聖人はこの時の別れ以降、再び恩師と会われることはありませんでした。
流刑の5年後、法然上人は亡くなられます。
訃報を耳にされた親鸞聖人は大地に泣き崩れられ、悲しみのあまり吐血されたという伝承もあります。

 

「会者定離 ありとはかねて 聞きしかど 昨日今日とは 思わざりけり」
大切な人との別れを経験された方の中には、この親鸞聖人のお歌にしみじみと共感される方もあるかと思います。

 

別れの中でも、特に辛いのは、死別です。
散った桜は来年には咲きますが、消えゆく命は二度と戻りません。
もう一度会いたいと、どれだけ遺体にすがって泣き叫んでもかなわない、その冷厳な事実が、さらに人を涙の谷底に突き落とします。

 

考えたくないですが、死は万人の将来です。
大切な人ともやがて必ず別れがくることを、誰しも覚悟しておかねばなりません。
しかしどんなに覚悟していても、大切な人との別れは「昨日今日とは思わざりけり」、まさかこんなに早くその時がやってこようとはと、今起きている現実が受け止められず、「早すぎる、嫌だ、嫌だ」と悲泣せずにいられないものなのでしょう。

 

なぜ愛別離苦になってしまうのか

 

古今の人類は常に「愛別離苦」と闘ってきました。
病気で大切な人を失いたくないと医学を進歩させ、災害で家を流されたくないと堤防を築き、いつまでも仲良く側にいてほしいと、人の心の研究を続けてきました。
ではその努力の結果、『愛別離苦』を克服できたでしょうか。

 

江戸時代は虫歯が原因で死ぬ人もありましたが、今や医学が発達して長生きできるようになりました。
しかし長生きすることにより、人は常に老いた肉体に発生する病気との戦いが強いられ、いつ愛別離苦が訪れるか、常に不安にさらされるようになりました。

 

耐震構造の家が建築され、震度6くらいでは死者もないほど、災害に強くなったのは科学の進歩であり、災害対策のたまものですが、自然は時に人間の努力をあざ笑うかのように大災害をもたらします。
今や自然災害と連動するように、原発の脅威もあれば、核ミサイルで人工的に大災害をもたらす力も人類は有しています。

 

教育学、心理学などどれだけ心を学んでも、変わり続ける人の心をつなぎ止めることはできません。
学んでみればみるほど、人間の複雑な心の前に、無力さが知らされます。

 

どんなに医学が進歩しても、災害対策しても、人の心を研究しても、愛別離苦をしばらく先延ばしにするだけで、いつかはこの苦しみにぶつかるのですから、薄氷を踏むような不安が、全人類を覆っているのです。

 

私たちはその不安を紛らすために、何かしてないとジッとしていられなく、時にそれは、ギャンブルや薬物や性や犯罪など、刹那的刺激に走るケースとして現われます。
この実態は昔も今も変わりません。

 

どんなに医学や科学が進歩しても、どうして私たちは愛別離苦から離れられないのか、
仏教ではその答えを【私たちの住む世界が「火宅無常の世界」だからだ】と説かれています。
『火宅』とは、私たちの住まいしている世界のことです。
火のついた家のように不安に満ちているのが、この世の中だ、とお釈迦様は喝破されました。
『無常』とは仏教できわめて大事な教えで、一切は続かない、ということです。
火のついた家が瞬く間に焼失してなくなるように、私たちの愛している物も人も、瞬く間に自分から去って行くもの。
だから『愛別離苦』はいつでもどこでもついて回る、普遍的な苦しみなのです。

 

では火宅無常の世にあって私たちが本当の幸福になれることがあるのでしょうか。
親鸞聖人は「ある」と宣言され、その心の世界をくわしく教行信証に説かれています。
どのように説かれているか、関心ある方はこちらでしっかりお聞きください。

 
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