どんな人にも生きる意味があると説かれた親鸞の教えとは

「つい言ってしまう」こんな悪口に気をつけよう

2020/11/19
 
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菊谷隆太
こんにちは、菊谷隆太です。 東京、大阪、名古屋を中心に仏教講座を主催する仏教講師です。 専門は浄土真宗で、「教行信証」「歎異抄」を学び、皆さんにもお伝えしています。 このサイトは「どんな人にでも生きる意味がある」と宣言された親鸞という方の教えを知っていただきたいと思い、開設いたしました。

仏教では「悪口(あっこう)」は、口で造る4つの悪の一つに数えられます。
「悪口」を慎む人はなかなかいませんので、できる人があれば、光を放つと説かれます。
慎もうと思っても、ついいってしまうのが悪口です。
今回は私たちが気をつけたらいい悪口の数々を見ていきましょう

 

「みんなそう言っている」という悪口

 

「あの人のこと、みんなそう言っているよ」
こういう言い方は悪口の常套文句です。
気をつけて聞かねばなりません。
よくよくその人の言う「みんな」を検証してみると、その人の友人の○○さんと△△さんだけだった、ということがよくあるので。
しかもその友人たちとて、その人の言う悪口の勢いに話を合わせているのであって、実は悪口言っているのは「みんな」ではなく、その人だった、というのが、「みんなそう言っている」の、たいていの実態なのです。

 

私たちは嫌いな人のことを誰かに話すとき「みんな言っている」「あの人がいるとみんな迷惑する」「あの人がいる限り、職場がよくならない」と言いがちですが、それは「私が言っている」「あの人がいると私が迷惑する」「あの人がいる限り、私がよくならない」の場合がほとんどです。

 

少なくとも、その人の言う「みんな言っている」の「みんな」の中に、その人自身が入っていないことはまずない。
熱を込めた主張ならなおさら、その人の好き嫌いの感情、利害打算がからんでいるものです。

 

これは誰かを良く評価するときにも同じことがいえます。
「あの人のおかげで職場のみんながとてもやりやすくなった」と言っているのも「みんながやりやすいのではなく、あなたがやりやすくなったんだろう」というケースが多いものです。

 

会議の際でも同じです。
自分の主張を後押しするような「データ」や「お客様の声」は議題に上げ、説得力ある数字をそろえ、声を大にして宣伝する。
一方、自分の主張に水を差すような「データ」や「声」や「数字」は不問にし、会議のメンバーの目に触れさせないようにします。

 

「正も邪も 勝手に決める 我が都合」
善悪正邪の判断も、どうしても好き嫌いと利害で決めてしまうのが人間なのです。

 

「いや、おれはそんな好き嫌いで判断することはない」と言い張る人があれば、それはまだ自身のことをよくわかってないのです。
私利私欲と好き嫌いで善悪正邪を判断する身勝手な自己を反省してこそ自戒しようと努めるようになるのに、自惚れていたら反省も自戒もできっこありません。
どこどこまでも自分の正義を押しつけてしまい、結果その人は絶えず人間関係でぶつかることになり、人もあきれて離れていきます。
間違っても権力を持たせてはならない人です。

 

「最近の若い者は」という悪口

 

健康寿命が延びたことで「定年70歳」「生涯現役」といわれる時代になり、最近では同じ職場で20代から70代まで働いているそうで、世代間のカルチャーの違いに戸惑う場面が多くなっているようです。
そんな時代だからこそ、年長者の立場で特に気をつけたいのが「最近の若い者は~」「おれたちの頃は~」という言葉です。
年長者が若者と一緒に何かすると、必ずと言っていいほど出てくるぼやきが「おれたちの頃は~」の苦労談であり、「最近の若い者は~」の批判です。

 

勤務経験が豊富な年長者から見れば、若者に足りないところがあるのは当然です。
そこをアドバイスしたり、フォローするのは大事なことですが、「子供叱るな、来た道じゃ」とことわざにもあります。
「あまり叱るな、お前も通った道じゃないか、いや、もっとひどかったじゃないか」との反省を忘れてはなりません。

 

また経験しているからといって自分の主張が、必ずしも正しいとも限りません。
時代が相当、自分が経験した当時とは変わっているからです。
どうしても私たちは、自分の培ってきた文化、ものの考え方が正しくて、向こうは間違いだとしか思えず、若者に意見を押しつけてしまいがちなので、これも気をつけなければなりません。

 

さらに言えば、自分より若い人の方が世相に敏感で、IT技術も長け、柔軟な発想もでき、行動力もあり、自分にはない良いものをたくさん持っているのを自覚しなければなりません。
大いに学ばなければならないことが、若い世代にはたくさんあります。

 

そういう自己反省を忘れている時に出てくる言葉が「おれたちの頃は~」であり、「最近の若い者は~」との批判なのです。

 

約4800年前のアッシリアの石碑にも、「未来は明るくない。最近の人々の有様は目に余る」と世を嘆く言葉が刻まれているそうで、いつの時代でも、こうぼやきたくなるのが、人間の性(さが)なのでしょう。

 

ホンダ自動車を創業した本田宗一郎は生涯現役で経営に当たった人でしたが、そういう本性を律していたのか、こんな言葉を残しています。
「定年の必要は実際のところ、年老いたということではない。おもな理由は、若者たちに道をあけなければならないということである。
もし年寄りが経営者であり続けるなら、せめて若い人の悪口を言わないという保障をしてほしい。
もう一つの注文は、時代の変化を勉強することだ」

 

 
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