どんな人にも生きる意味があると説かれた親鸞の教えとは

たとえ願いがかなっても幸せにはなれないのはなぜか。仏願を教えられた親鸞聖人

 
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菊谷隆太
こんにちは、菊谷隆太です。 東京、大阪、名古屋を中心に仏教講座を主催する仏教講師です。 専門は浄土真宗で、「教行信証」「歎異抄」を学び、皆さんにもお伝えしています。 このサイトは「どんな人にでも生きる意味がある」と宣言された親鸞という方の教えを知っていただきたいと思い、開設いたしました。

『仏願(ぶつがん)』とは「仏の願い」のことです。
仏の願いを私たちの上に満たすことを目的に釈迦が説かれた教えが仏教です。
仏教は、私たち衆生の願いを満たすための教えではありません。
それは衆生の願いをかなえても、衆生は幸せになれないからです。

 

ドラえもんがいたって、それで幸せになれるものではない

 

「あんなこといいな、できたらいいな♪」の歌で始まる『ドラえもん』。
のび太の、まことにわがままな願いを、ドラえもんが次々と未来の道具で妥協なく、完全にかなえてくれるストーリーですが、その結末は「たとえ願いが満たされても幸せにはなれない」という、とても哲学的な示唆が含まれているものでした。
のび太の場合、子供の一地域社会のかわいらしい願いですが、私たちも会社や家庭など、それぞれの世界で大同小異、のび太のような願望を持っています。
(大人の願望はもっとブラックでアダルトかもしれませんが)
その願いはそう簡単にかなえられず、妥協を重ね、あきらめるのが世の常なのに、それをドラえもんは道具一つで即座に実現させてくれるのですから、舞い上がるような幸せを感じて当然なのですが、ご存じの通り、そのオチ(結末)は「のび太はその道具では幸せになれなかった」でした。

 

ドラえもんが始まってすでに50年近く経つので、ドラえもんの道具ですでに実現化したものはたくさんあり、「糸なし糸電話」などまさに携帯電話ですし、他にも「エアコンスーツ」「絵本入り込みぐつ」「ほんやくコンニャク」「そっくり銅像キット」など、もう何十個も実現しているそうです。

 

しかし、科学が進歩し、どれだけ願望がかなっても一向に幸せになれていないのは、ニュースで報道される、目を覆うような事件の数々からもそれは知られます。

 

マルチな才能で活躍しているリリーフランキーがこう言っていました。

能力があれば成功はできるが、幸福になれるかどうかとなると、話は別だ。
そんなことを思い始めたら、もう終わりだ。
日進月歩、道具は発明され、延命の術は見つかり、私たちは過去の人類からは想像もできないような「素敵な生活」をしている。
しかし、数千年前の思想家や哲学科が残した言葉、大昔の人間が感じた「感情」や「幸福」に関する言葉や価値は、今でも笑えるくらいに、何にも変わっていない

 

どんなに科学によって世の中が便利になり、経済が繁栄して豊かな生活を送れたとしても、なお安心できず、満足を知らないのは、生きる喜びを感じられない原因が他にあることを知らないからだと突き止められたのが、2600年前の釈迦の教えです。

 

 

人間の満願成就は幸福をもたらさない

 

みな願いがかなったら幸福だと信じて追いかけていますので、「願いをかなえても、幸せになれない」と説く仏教は簡単に受け入れられないでしょう。
卑近なわかりやすい例かなと思い『ドラえもん』を切り口に話しましたのも、「衆生の願いをかなえても、衆生は幸せになれない」という仏教のメッセージを知っていただきたいためでした。
ところが多くの人は、それはのび太が愚かだったからで、オレがドラえもんのあの道具を使えば幸せになれると、思ってしまうのでしょう。

 

「人間の願いは、たとえかなったとしても、幸福になれない」と説くのは真実の仏教の大きな特徴です。
世間に多くの宗教がありますが、手を合わせ、拝む目的は「衆生の願いを満たす」ことにあります。
日本の正月の習慣で、初参りに日本全国の神社が賑わいます。
「どうか今年は~~でありますように」と賽銭投げて祀られている神にお願いするのですが、その「~~」の願いの内容は「商売繁盛」「息災延命」「合格祈願」「縁結び」「安産祈願」「家内安全」「交通安全」「必勝祈願」等々、これらすべて人間の願いです。

 

たとえ元日に詣ってお願いしても、商売が上手くいかなかったり、病気になったり、不合格になったり、結婚できなかったりしますので、なかなか「満願成就」も大変です。
さらにいえば、たとえ私たちの願い望んでいることが成就したとしても、それで幸福になれるものではないのです。
なぜなのでしょうか。

 

それは私たちの住む世は「火宅無常の世界」であり、私たちは「煩悩具足の凡夫」だからです。
どういうことなのか、お話ししましょう。

 

火宅無常の世界だから、私たちの願いでは幸せにはなれない

 

「願い」とは「将来の夢」であり「目指す目標」です。
夢や目標を持つことが大事だとみな常識のようにいいますし、それを実現した人のサクセスストーリーにみな憧れるのですから「たとえユメかなって成功できても、イコール幸福とはならない」と説く釈迦の教えを非常識であり、「厭世的だ」「暗い」「やる気を損なわせる思想だ」と思われる方も多いでしょう。
しかし反面、うすうす感ずいていることを言葉にされたと受け止める人もいるのではないでしょうか。

 

毒舌家で知られるバーナード・ショーは言います。

人生には二つの悲劇がある。一つは願いが達せられないこと。もう一つはそれが達せられること

これも人生に対してネガティブな主張だと思う人もあるでしょうが、彼の言うことが毒舌と評されるのは、人はそこに一面の真理を感じ取るからでしょう。

 

では、なぜ願いをかなえても幸福になれないのでしょうか。
親鸞聖人にお訊きすると「それは火宅無常の世界に私たちが住まいしているからだよ」と教えられます。
「火宅無常の世界」とは、いつ何が起きるか分からない不安な世の中ということです。
常に世の中は移ろい変わっています。
たとえ景気が良くなって商売繁盛しても、いつまた景気が悪くなるか分かりませんし、どんな事故や事件が起きるとも限りません。
縁談が進み、ステキな人と結婚できても、その後、病や事故で死に別れもあれば、どちらかの心が冷めて離婚、という憂き目にあうこともあります。

 

たとえ願いがかなっても、その満足は一時的で、またいつどうなるか分からない不安が胸に迫ります。
なまじ苦労の末、大きな願いをかなえた人は、失いたくないと思うあまり、第三者には分からぬ不安に苛まされることもあります。
こんなに不安になるくらいなら、手にしなければ良かったとさえ思うこともあるのです。

 

いつ何が起きるか分からぬ火宅無常の世界に住まいしているから、願い通りに何を手に入れても、いつまで続くだろうかとの不安に怯え、苦しみが絶えることはないと親鸞聖人は喝破されました。
ではそんな私たちが幸せになるにはどうしたらいいのか。
仏の本願、仏の願いによるしかないと教えられています。
それが他力本願の教えです。

 

 

 

煩悩具足の凡夫だから、私たちの願いでは幸せにはなれない

 

『仏願(ぶつがん)』とは「仏の願い」です。
仏の願いは、私たち人間の願いとは違います。
どう違うのでしょうか。

 

人間の願いは「カネがあれば、あの車買えるのに」「かわいかったら、あの人も振り向いてくれるのに」「才能があったら、馬鹿にされないのに」という願いで、仏教では『五欲』といわれるものです。
『五欲』とは、欲の中でも特に大きいものの5つで
【食欲】とは、食べたい、飲みたい
【財欲】とは、カネが欲しい、
【色欲】とは、もてたい、
【名誉欲】とは、ほめられたい、
【睡眠欲】とは、寝たい、楽したい、という欲です。
これらやりたいことができないから不幸なんだ、とみんな思っています。
「やりたいことがやりたいようにできれば幸せなんだ」と信じて疑いません。

 

ところが仏教では、これら五欲は「一時の快」はもたらしても、「本当の快」は得られないと教えられます。
その理由は欲の心は底なしに深く、どれだけ満たしてもキリがないからです。
仏教ではたびたび煩悩を「龍」や「鬼」に譬えられますが、三大煩悩の一つである『欲』は「青龍」「青鬼」として登場します。
欲の心が青色に譬えられるのは、海の青さを表しています。
海の色は深さを増すほどに青みを増します。
浅瀬はまだ透明だったり、薄い水色ですが、沖に行くにしたがい濃い青になります。
青は深さを表しており、欲が青に譬えられるのは、欲の心がどこどこまでも深いからです。

 

無ければ無いで欲しい、欲しいと渇し、手に入れればもっと欲しい、もっと欲しいと際限なく深いのが欲の実態です。
国会議員になりたい、なったら今度は大臣になりたい、大臣になれば首相になりたい、首相になれば、法を改定してでも任期をもっと伸ばしたい、と欲は満足を知りません。
ゴールなき競争に安心も満足も訪れません。

 

では際限のない五欲から、私たちは離れることはできるのでしょうか。
親鸞聖人は私たちの実態を「煩悩具足の凡夫」と喝破されています。
「煩悩の塊」「五欲を求める心しかないのが人間」と言われています。
五欲を満たすのを願う心しかない者に、五欲を離れた悟りの境地を求めよというのは、魚に水を離れて生きよ、と言うに等しいことになります。

 

果てしない欲に苦しまされ、悩まされ続け、際限なく迷いを重ねる私たちだからこそ、何とか助けてやりたいと願いと建てられたのが『仏願』なのです。

 

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