どんな人にも生きる意味があると説かれた親鸞の教えとは

人の不幸を笑う心。三毒の煩悩の一つ、愚痴の心の意味とは

2019/02/04
 
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菊谷隆太
こんにちは、菊谷隆太です。 東京、大阪、名古屋を中心に仏教講座を主催する仏教講師です。 専門は浄土真宗で、「教行信証」「歎異抄」を学び、皆さんにもお伝えしています。 このサイトは「どんな人にでも生きる意味がある」と宣言された親鸞という方の教えを知っていただきたいと思い、開設いたしました。

人が失敗して狼狽している姿を見て、ひそかにおもしろがる心を、仏教で「愚痴の心」といいます。
不幸な人を見て「かわいそうに」と口では言いながら、心では何か愉快な気持ちがこみあげてくる心のことです。
今回は愚痴の心についてお話しします。

醜い愚痴の心

 

「愚痴の心」は、人間の持つ心の中でも、特に醜いものといえるかと思います。
ある女性誌で「彼氏にすることは絶対ない男ランキング」の一つに「他人の不幸をメシウマと感じる人」というのがありました。
メシウマとは「飯がうまい」の略で、人の不幸を楽しむ場合にいわれる言葉です。
「そんな人は単に人間的にありえない」とのコメントもついていました。
確かにどんなにイケメンでも、人の不幸をクスクス笑う人だと知れば、百年の恋も冷めるというか、その人に嫌な感じを持ってしまうでしょう。

いじめも、悪口も、この人の不幸を面白がる「愚痴の心」が引き起こします。
二つの事例を見てみましょう。

 

いじめを引き起こす人間の醜い愚痴の心

 

ある中学2年生のクラスの授業。
教師が「理想のクラスを漢字ひと文字で表すと」と課題を出しました。
生徒たちが書いてきたのは、『笑』『明』『楽』などの字でした。

次に教師は「今度は、無視、いたずら、悪口など、いじめをする人の気持ちを想像して、そういう人の気持ちを漢字一字で表してみてください」という課題を出しました。
教師の課題に生徒からあがってきたのは『怒』『悪』『嫌』などでした。
案の定、暗いイメージの漢字が並びました。

ところが中に『笑』『楽』という字があったのです。
この字は、理想のクラスのイメージとしても出た言葉です。
書いた生徒のわけをこうでした。
「ほかの人をいじめるときに、ストレス解消というか、『ハハッ』とあざ笑うという意味で書きました。ぼくも小学校のころいじめられてた。いじめられてるときに笑われたんですよ、ぼく」

Eテレ(NHK)でこの授業の様子は紹介され、いじめを「楽」と書いたこの生徒の言葉に反応したのが、元AKBの高橋みなみさんでした。
彼女もこの教師の出した“いじめたくなるときの人の気持ち”の課題に、ぱっと浮かんだ漢字が「楽」だったそうです。
「いじめている人というのは、一瞬楽しむ傾向がある。人にいじめを言うことが楽しくなったりとか、自分が上に立つことが楽しくなったりとか…」(高橋さん)

いじめは人間の持つ三毒の煩悩の一つ、『愚痴』から発します。
愚痴とは、ねたみ、そねみ、憎しみの心をいいますが、人の不幸をクスクス笑うのも、愚痴の心です。
苦しんでいる人を見て面白がり、狼狽していたり、困っている姿を見て楽しむ心です。

上履きを隠されておろおろしている人、教室で無視されて顔を青くしている人を見て、含み笑いをしているのは、愚痴の醜い心に他なりません。
高橋みなみさんや一部の生徒が、いじめをする人の気持ちとしてあげた『笑』『楽』は、まさに愚痴の心のことであり、その心の醜さに敏感に気づいている人の回答だと思います。

楽しむ方法はいろいろ世の中にあり、笑顔になれる場もいろいろあります。
何も人をいじめて笑ったり、楽しんだりすることはない。
スポーツで勝利した笑顔、試験に合格した笑顔、子供の顔を見たときの笑顔、読書や音楽や映画の楽しみ、身体を動かす楽しみ、好きな人と一緒にいるときの楽しみ、『笑』『楽』はいろいろあります。
人を困らせ、人を苦しませて笑ったり、楽しむのは、醜く、最低の『笑』『楽』です。
そんなことで笑顔になり、楽しむのは、とても恥ずかしい、みっともないことです。

 

悪口は、醜い愚痴の心に端を発する

 

以前、東京に住んでいた時のことです。
文京区のカフェでパソコン開いて仕事していた時、隣の席に30代くらいの女性が2人座りました。
都心のマンションに住むママ友が、午後の時間にお茶しているのかな、という風景です。
こんな時、私は難しい顔してパソコンに向かっていても、耳は興味本位で隣の会話をけっこう聞いてしまいます。

最初は清楚で上品な雰囲気に好印象でしたが、その二人が話している1時間半あまり、その内容は、ずっと同じマンションに住む、共通のママ友と思われる人への悪口、陰口ばかりでした。
クスクス笑い合って意気投合している姿は、気持ちの良いものではありませんでした。

「人を知る最も良い方法は、その人が何を可笑しいと思うかを知ることだ」(ゲーテ)

人の失態や醜聞を語ったり、聞いたりするのが、一番愉快で目を輝く、という人にはなりたくないものです。

よく噂話や悪口で盛り上がれないと、集団から浮いてしまうという話を聞きます。
わからないこともないですが、そういうことを口にしない人の方が、結局は好かれ、慕われ、相談できる人であり、尊敬できる人となると思います。
悪口を言う人は本当には慕われませんし、尊敬もされません。
人の不幸やスキャンダルを面白がる醜い心が、悪口を言わせるのだし、聞きたがるのですから、悪口は言うのも聞くのも、自己嫌悪や相手への嫌悪になっていき、後味の悪さが残ります。

自分のパートナーになる人、自分の子供や孫が、陰口、悪口好きであってほしくない、と思うのも、陰で悪口が横行している職場やチームを嫌だと感じるのも、悪口は醜いと感じているからです。

仏教でも「悪口(あっこう)」は、口で造る4つの悪の一つに数えられます。
「悪口」を慎む人はなかなかいないので、できる人があれば、光を放つと説かれます。

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では、そんな醜い心を持つ私たちが幸せになるにはどうしたらいいのか、
そのハッキリした答えを示されているのが仏教です。

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