どんな人にも生きる意味があると説かれた親鸞の教えとは

働く意味がわからない人のためのお釈迦様の教え

2019/02/26
 
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菊谷隆太
こんにちは、菊谷隆太です。 東京、大阪、名古屋を中心に仏教講座を主催する仏教講師です。 専門は浄土真宗で、「教行信証」「歎異抄」を学び、皆さんにもお伝えしています。 このサイトは「どんな人にでも生きる意味がある」と宣言された親鸞という方の教えを知っていただきたいと思い、開設いたしました。

 

「なぜこんな思いをしてまで働かなければいけないのかな」
ふと思う瞬間はどんな人にでもあります。

でも頑張らなきゃ、と気持ちを切り替えて働き続けるものの、こんな毎日にどんな意味があるのだろう、とため息出る、そんな人は多いと思います。
仏教を説かれた釈迦は「人間は何のために働くのか」という問いにどう答えられているか、お話いたします。

 

やりたいことがわからない人はダメなのか

 

「やりたいことが見つからない」という10代の若者の声をよく聞きます。
子供はあらゆる場面で、大人から「将来の夢は?」「何になりたいの?」と定番で訊かれるので、これまた定番の答えを用意しています。小さいときは、それもたわいもない答えでいいのですが、中学生くらいになると「将来の夢は?」だけで済まず、「そのために今実行していることは?」まで観察されます。
将来の夢が明確にあり、そのために現在、努力を積み上げている若者は、大人からは「しっかりしているね」と目を細められ、異性からも「素敵だ」と思われ、友人からも一目置かれます。
そういう風潮にいまだ夢が見つからない人は、焦る心もつのり、劣等感を覚えるようになります。
そんな「やりたいことが見つからない」若者の声はネット上にも飛び交い、その声はあたかも、「やりたいことが見つからない」自分は欠陥であるかのように思い悩んでいます。

 

その昔、お釈迦さまも「本当に人生でやるべきこと、やりたいことは何か」に悩まれた方でした。
王族の太子として生まれ、名をシッダルタといわれたお釈迦さまは、幼少の頃から、卓越した才気を発揮し、父母親族である王族や、家来たち、国民の期待を一身に集めましたが、彼らの期待する「外交」「政治」「経済」「法律」など、どれも打ち込む気にはなれず、周りを失望させました。シッダルタ太子には「これをオレは求めていたんだ」と、夢中になれるものは何もありませんでした。それは、どの道に進んでも、どこまで進んでも、そこに心からの安心、満足がないのを、進む前から直感されたからです。
そんなシッダルタ太子が「これだ、ここしかない」と、すべてを捨てて単身一つの道を選ばれたのは、29歳の御時でした。
それまではずっと悶々と進むべき道を迷われ続けたのです。

 

このお釈迦さまの出家までのエピソードを知ると、人生かけて進むべき道は、そんな簡単に見つかるものではないことがわかります。
そこに迷い悩むことは、決して劣等感を持つようなことではなく、人生を真摯に受け止めようとする人にこそおきる疑問なのだと知らされます。

 

働く意味なんて考えずに、今を一生懸命生きればいいのか

 

「人生かけてやりたいことが見つからない」とか、「自分の生きる目的は何だろう」とか、そんな大げさに考えなくても、今、目の前にあることを一生懸命やればいいんだよ、と言う人もあります。

 

中学生、高校生なら、「まずは大学へ」が大きな関心事です。
小学生の頃から塾に通い、中高一貫の進学校へ行けば、そこでは誰もが「いい大学に入れば幸せになれる」と信じてしのぎを削っていますから、負けじと勉強に明け暮れ、「いい大学」を目指します。
大学に入ったら、楽に単位をくれる「いい先生」を探して、4年間をこなします。
就活でも周りに負けじと、「いい会社」を目指すのに一生懸命です。
仕事につけばついたで、周りに負けじと「いい評価」を目指し、
適齢期になれば、周りに負けじと「いい相手」を目指します。

 

このように目の前のことを懸命に求め続ければ、その先には「生きてきてよかった」と幸せな人生があるのでしょうか。
もしかしたら周りに踊らされているだけなのかもしれません。
精神科医フランクルは、人生の目的を見失っている現代人を評して「ほかの人たちがしていることを自分もし、ほかの人が自分に期待することをする全体主義」と定義しました。

 

働く意味、生きる意味があるのか、と問う森鴎外

 

 

以下の文章は明治の文豪、森鴎外の言葉です。

一体日本人は生きるということを知っているだろうか。
小学校の門を潜〔くぐ〕ってからというものは、一しょう懸命にこの学校時代を駈け抜けようとする。その先きには生活があると思うのである。
学校というものを離れて職業にあり附くと、その職業を為〔な〕し遂げてしまおうとする。その先きには生活があると思うのである。
そしてその先には生活はないのである。
現在は過去と未来との間に劃〔かく〕した一線である。
この線の上に生活がなくては、生活はどこにもないのである。

 

学生時代は「これがオレの本当の人生だ」とは思えません。
やりたくないレポートを出して、一応の単位をそろえて、まずは卒業しなきゃと目先のことで精一杯です。
今は知識と経験を積む時代と心得、あるいは遊ぶためのモラトリアム期間だと受け止め、社会に出てからが本当の人生だと思う人が多いです。

 

ところが社会に出るとどうでしょう。
まずは仕事を覚えるのが精一杯になります。
ミスをしないよう、ノルマを達成できるよう、目先に追われます。
これが本当の人生だと思う人はいません。
仕事を覚え、何かのプロジェクトを任され、一人前に取り組めるようになれば、そこからが本当の人生だと思います。

 

ところが、それから本当の人生が始まるのかというと、そうでもないのです。
ある程度の地位や役職につくということは、責任を負うということです。
「楽は下にあり」周りからも厳しく見られる立場であり、組織の派閥にも組み込まれ、ますます自分の好きなように行動できません。

 

そこである程度の地位や役職についた人は、社会的責任を果たし終えてから、好きなことができる本当の人生を歩もう、と思うのです。
では、老後が本当の人生なのでしょうか。
65歳になった初老の人が、大学に入学したての新入生のところにやってきて「入学おめでとう。おれにもそんな時期があったんだ。でもこれだけは知っておいてくれ、いいか本当の人生はな、老後からなんだよ」と言われたら、どうです?
なんか、聞いている方が悲しくなってくる。
「じゃあ、65歳になるまであんた何やってたんですか」と新入生に言われるでしょう。

 

鴎外の締めの言葉は強烈です。
【本当の人生というのはどこにもないのである】

 

結論を急ぎましょう。
本当の人生は「今」です。
「今」をしっかりと生きているか。
自問自答していきたいものです。

 

働く意味がわからない人に「ハタモク」

 

ただ周りに流されているのではないかと反省する大学生や社会人が集まって「何のために働くのか、働く意味、目的」を話し合う「ハタモク」なる集まりが、メディアで取り上げられていました。
コーチングの一形態だと思うので、その効果や信頼は今の情報だけではなんともいえませんが「働く意味」というのは、古今東西変わらず、多くの人が関心を持つテーマであることは間違いありません。

 

特に最近、非正規雇用の増加、ワーキングプア、ネットカフェ難民、パワハラetc、働くことの過酷さも増し、高度計財施長期のような、勤勉が報われる社会でもなくなり、経済格差も広がってきており、「なんで働いているんだろう」は、口にしないまでも、多くの人の頭のどこかにある問いなのではないでしょうか。

 

好きなことを仕事に選んだらいい、と言われますが、好きなことをしていてお金が入ってくるほど世の中甘くない。「ワクワクして好きなことして生きてます」と、ネットの世界で情報商材を販売する人がアピールするのは、彼らのビジネストークであって、本音ではない場合がほとんどです。

 

めったにないことですが、幸いにも好きなことを仕事につけたとしても、いつまでそれを続けることができるでしょう。
いや、どんなに好きなことでも、仕事にしたら苦しくもなってくると言われます。
通訳にあこがれ、東京外語大を卒業し、企業の通訳をしている先輩が在学中の後輩に「通訳って、自分の思いを語ってはだめで、ただ機械みたいにお互いの会話の受け渡しをしているだけ。こんなつまらない仕事だったとは」と語るそうです。
華やかで人からうらやましがられる人でも、外からはわからぬ憂苦を抱えているようです。

 

結局「働くということは苦しい」。
この一行を書き換えることは難しいようです。
そうなると「何のために働くのか」「働く意味がわからない」とまた元に戻ってしまいます。
「そんなにまでして、何のために働くの?」
  ↓
「働かねば食べていけんやないか!」
  ↓
「じゃあ、何のために食べるの?」
  ↓
「食べるもの食べなきゃ 明日から元気に働けなくなるだろ!」

確かに働かねば食べていけない。
(働かざる者、食うべからず、ともいいます)
(いや、働かなくても一人前に食べていけるような財力があるならいいんだけど、 なかなかそういうわけにはいかず)
もちろん食べなければ働けない。
(仕事も身体が資本。健康でなければつとまりません。)
働くのは⇒食べるため、
食べるのは⇒働くため、
働くのは、食べるため、食べるのは、働くため。
では、「働いて食べているのは何のため?」
こう尋ねられてどんな答えが用意されているのでしょうか。

 

『働いて食べていく』この繰り返しの営みに「忙しい、忙しい」と、目を白黒させている人は少なくないのではないでしょうか。
「忙しい」とは『心を亡くす』と書きます。
【なぜ生きるのか?】
これは純粋にして、素朴な、そしてとっても人間らしい問いです。
「忙しい」とは、この問いへの探求心を亡くしてしまうということでしょう。
あれこれ対応しているうちに矢のように月日だけが過ぎ去る。忙しい、忙しいと月曜日から金曜日までこなしてこなして、、、土日は気晴らしですぐまた月曜日。「あーあ、もう月曜日かぁ」とまたこなしていく。こんな一週間が4回続けば一ヶ月、その一ヶ月が12回で一年。「あーあ、もう年始かぁ」そんなこんなで10年20年と過ぎていく。

 

「働くのは何のため」「働く意味」という問いはそのまま、「生きるのは何のため」「生きる意味」という哲学的な問いかけに通じるのです。
【いったい何のために生まれてきたのか】
【なぜこんな人生、生きねばならないのか】
ときに静かにとどまって考えてみなければならないのではないでしょうか

 

この悩みは決して若者だけの悩みではありません。
定年退職や子育てが一区切りついたときなど、人生の節目を迎えたときにその悩みが起きてくる人もあれば、死期を覚悟した病床で迷い悩む人もあるでしょう。
いずれにせよ、この悩みは人生を真摯に受け止めた時におきる疑問なのです。
ここで、高齢者のアイデンティティクライシスをお話しします。

 

定年退職後にやってくるアイデンティティクライシス

 

「アイデンティティクライシス」とは、自分は何のためにここに存在するんだろう、と不安になり、鬱になったり、自殺したりする、人生の危機を指す言葉です。
当初は青少年の悩みとして取り上げられることが多かったのですが、青少年だけでなく、不惑と言われる40代でも、還暦迎えた60代でも、アイデンティティクライシスは厳としてあり、40代~60代の中年期は「人生の午後」「思秋期」と言われるそうです。

 

女性なら、現実が見えてくるプロセスで、不安と葛藤を覚えます。
子供が巣立った後、潜在化していた夫婦の問題も表面化してきます。
「妻が急に冷淡になった」
「定年退職してぶらぶらしている夫がたまらない」
という声が聞こえます。
「熟年離婚」の危機です。

 

男は自分の存在価値を収入と立場で計ろうとする傾向が強いです。
年収○○円、となればこれだけ稼げる俺は周りと比べて優秀なんだ、と誇りたくもなりますし、○○部長、という肩書きがつけば、部下も相談してきたり、周り中から信頼されます。
今度のプロジェクトを任されたとなれば、社運をかけた戦いに俺ががんばらねば、と意気に燃えるようになり、マイホームのローンも子供の学費もかかりますから、家族からも必要とされ、これらが自己の存在価値になっているようです。

 

ところが定年退職すると様相は一変します。
会社では度々相談を受けたりして、信頼されていると思っていた部下たちも、何の音沙汰もなくなる。経済的にも家族から頼られなくなり、かといって何か家の仕事ができるのでもない。やがて病気になれば、人を支えるどころか、支えられなければ生きられないようになってくる。だんだん自己の存在に価値を感じられなくなってくるのでしょう。

 

それまで収入で男の価値をはかっていた人は、子供より稼いでいない自己の現状に劣等感を感じるようです。立場や肩書で人の優劣を決めていた人なら、「~部長」「~助役」などの呼び名がなくなり、ただの「~さん」に不安を覚えるのでしょうか。
それら劣等感が元で、家族からぞんざいに扱われているという怒りになったり、不安が八つ当たりになったりするケースもあります。

 

『無常を観ずるは菩提心の一なり』
退職を機に、今まで信じていた価値観が崩れ、働く意味がわからなくなり、本当の幸福は何なのか、模索し、仏縁を結ぶ第一歩となれば、ありがたいことです。

 

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