どんな人にも生きる意味があると説かれた親鸞の教えとは

仏教は「今を生きる」教え

2020/11/19
 
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菊谷隆太
こんにちは、菊谷隆太です。 東京、大阪、名古屋を中心に仏教講座を主催する仏教講師です。 専門は浄土真宗で、「教行信証」「歎異抄」を学び、皆さんにもお伝えしています。 このサイトは「どんな人にでも生きる意味がある」と宣言された親鸞という方の教えを知っていただきたいと思い、開設いたしました。

 

仏教は「今を生きる」教えです。
もっと丁寧に言えば「今、ここで、本当の幸せになれる」教えです。
私たちは過ぎたことをいつまでも悔やみ、まだ来ぬ未来は取り越し苦労でもやもやと心配しています。そして「今」に生きていません。
逆境が来れば「仕方ない、蒔いた種なら生えるもの」と受け止めるしかないこと。問題は今からの行動です。
「こーなったらどうしよう」「あーなったらどうしよう」と憂鬱ですが、そうなるか、ならないか、は実は今日、今からの決断と行動です。
過去を追わず、未来に臆せず、大切なのは「今」だ、と説かれる仏教の教えをお話ししてまいります。

 

いつかではなく、今を生きる

 

以下の文章は明治の文豪、森鴎外の言葉です。

 

一体日本人は生きるということを知っているだろうか。
小学校の門を潜〔くぐ〕ってからというものは、一しょう懸命にこの学校時代を駈け抜けようとする。
その先きには生活があると思うのである。
学校というものを離れて職業にあり附くと、その職業を為〔な〕し遂げてしまおうとする。
その先きには生活があると思うのである。
そしてその先には生活はないのである。
現在は過去と未来との間に劃〔かく〕した一線である。
この線の上に生活がなくては、生活はどこにもないのである。

 

学生時代は「これがオレの本当の人生だ」とは思えません。
やりたくないレポートを出して、一応の単位をそろえて、まずは卒業しなきゃと目先のことで精一杯です。
今は知識と経験を積む時代と心得、あるいは遊ぶためのモラトリアム期間だと受け止め、社会に出てからが本当の人生だと思う人が多いです。

 

ところが社会に出るとどうでしょう。
まずは仕事を覚えるのが精一杯になります。
ミスをしないよう、ノルマを達成できるよう、目先に追われます。
これが本当の人生だと思う人はいません。
仕事を覚え、何かのプロジェクトを任され、一人前に取り組めるようになれば、そこからが本当の人生だと思います。

 

ところが、それから本当の人生が始まるのかというと、そうでもないのです。
ある程度の地位や役職につくということは、責任を負うということです。
「楽は下にあり」
周りからも厳しく見られる立場であり、組織の派閥にも組み込まれ、ますます自分の好きなように行動できません。
そこである程度の地位や役職についた人は、社会的責任を果たし終えてから、好きなことができる本当の人生を歩もう、と思うのです。

 

では、老後が本当の人生なのでしょうか。
65歳になった初老の人が、大学に入学したての新入生のところにやってきて「入学おめでとう。おれにもそんな時期があったんだ。でもこれだけは知っておいてくれ、いいか本当の人生はな、老後からなんだよ」と言われたら、どうです?
なんか、聞いている方が悲しくなってくる。
「じゃあ、65歳になるまであんた何やってたんですか」と新入生に言われるでしょう。

 

鴎外の締めの言葉は強烈です。
【本当の人生というのはどこにもないのである】

 

結論を急ぎましょう。
本当の人生は「今」です。
「今」をしっかりと生きているか。
自問自答していきたいものです。

 

 

「今」に生きることができない人はいつまでも幸せになれないと説く仏教

 

2018年12月31日午後11時頃。
テレビをつけると、除夜の鐘の響きとともに「まもなく今年が終わろうとしています」との落ち着いたキャスターの声。
それが午前12時を指すと、2019年1月1日に変わり、弾んだ声のキャスターがゲストに「今年はどんな年にしたいですか」と言っています。

 

2018年12月31日午後11時59分59秒が、秒針が一つ進んで、2019年1月1日午前12時00分00秒になった瞬間に
「今年」が終わり、「今年」が始まります。

 

「今日」が終われば、また「今日」です。
時計を見て「ああ、もうすぐ明日になるな」と思っていても、秒針が12時を指せば「明日」が始まるのではない。
また「今日」の始まりです。
私たちは「昨日」に生きることもできなければ、「明日」に生きることもできない存在なのです。

 

より厳密に言えば、時の流れは「今」の連続です。
何億年前といっても、何億年後といっても、今、今、今・・・・・と「今」の連続です。
これを古来「永遠の今」といいます。

 

だから「いつかやろう」「今度しよう」という思考をする人は、いつまでも行動できない人です。
「いつか」「今度」は永遠にやってこず、あるのは「今」だけなのですから。
だから仏教は常に「今」を問題にするのです。

 

 

過去と未来を解く鍵は「今」にあると説く仏教

 

仏教は一貫して【結果には必ず原因がある】【原因なしに起きる結果は絶対にない】と教えます。
平たい言葉で言えば「まいた種は必ず生える。まかぬ種は絶対生えぬ」ということです。
これが「因果の道理」という、仏教の根幹を成す教えなのです。

 

結果が異なるのは、原因が異なるからです。
一方はスイカ、一方はメロン、と実った果実が違うのは、まいた種が違うから。
「まいた種」という原因が異なるのですから、生じた結果が異なるのは当然です。

 

「なんであいつは恵まれるんだ」
「どうしてオレだけこんな目に」
と受ける運命の違いに首をかしげる人はありますが、その差は、その人その人の種まき(行為)が違うからです。
十人十色、みな種まき(行為)が一緒ではありませんから、一人一人違った運命が生じるのです。

 

「ではオレが不幸なのは、不幸になるような種まきを オレが過去にしてきたからというのか」と訊いてくる人があれば、「その通りです」と仏教は答えます。

 

「じゃあもう過去に戻ることはできないから、そんな種まきをしてきたオレは、ずっと不幸なのか」と訊かれれば「それは違う」と仏教は説きます。
なぜなら、これから先ずっと不幸かどうかは、今からの種まきによるからです。
これを『因果経』には「未来の果を知らんと欲すれば、現在の因を見よ」と説かれています。

 

過去は変わりませんが、未来は現在によって変えることができます。
特に仏教では、現在ただ今「ある心」が「ある心」にガラリと変われば【原因】、その時その場で、壊れることのない絶対の幸福になれる【結果】と教えられています。

 

また先ほど、「過去は変わらない」と言いましたが、「過去の持つ価値を変える」ことはできます。
過去に流した悲しみや後悔の涙の一切も、この身になるための出来事だったのか、と真珠の玉となって戻ってきますから、一切の過去に感謝できます。
自分の過去にかけがえのない価値が生じるのです。
だから【現在】こそ、【過去】と【未来】を輝けるものにする鍵なのです。

 

私たちは過去からずっと「私を幸せにさせない心」を抱えています。
その心が現在ただ今、闇が晴れるようにぱっと無くなったとき、絶対の幸福に心が生まれ変わります。
これを親鸞聖人は「平生業成(へいぜいごうじょう)」といわれました。
【平生】生きている現在に、【業】「人生の目的」が【成】完成する、ということです。
仏教は生きている現在の教えです。
幸福になるのは一瞬で事足りるのです。

 

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