どんな人にも生きる意味があると説かれた親鸞の教えとは

誰も知らない、ブッダの説く『自業自得』の本当の意味とは

 
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菊谷隆太
こんにちは、菊谷隆太です。 東京、大阪、名古屋を中心に仏教講座を主催する仏教講師です。 専門は浄土真宗で、「教行信証」「歎異抄」を学び、皆さんにもお伝えしています。 このサイトは「どんな人にでも生きる意味がある」と宣言された親鸞という方の教えを知っていただきたいと思い、開設いたしました。

仏教に『自業自得』という言葉があります。
自業自得の「業」は「行い」という意味です。
「業」のことをインドの昔の言葉では「カルマ」といい、それが中国で翻訳されたときに「業」の字があてられました。
よって「自業」とは「自分の行い」という意味です。
「自得」とは「自分が結果、運命を得る」という意味です。
自業自得とは、自分の行為が自分の運命を生み出すということです。
今回は仏教の『自業自得』について学びます。

 

良いことも悪いことも自業自得

 

「それはお前の自業自得だよ」と言われたことはあなたもあったかと思います。
私も何度も言われたことがありますが、言われて決して心地よいものではありません。
耳に痛い、できれば聞きたくない言葉の一つですよね。

 

本来『自業自得』とは仏教の言葉ですが、今日では意味が違ってきています。
言い訳しようがない失態をした人に対して「それはお前の自業自得だよ」と言いますが、その言葉を発している人は物事には自業自得のこともあれば、自業自得でないのもある、ことを大前提とした上でその言葉を用いてます。
だから「それは」とことさらに使うのであって、その問題に関しては「それは自業自得だよ」と言っているのです。
しかし仏教では「それは」だけではない、「それも」「あれも」「これも」全部が全部、自業自得なんですよ、と説かれるのです。
自業自得でないものは世の中に一切ない、と断言します。

 

『自業自得』という漢字四字は、私たちの身におきる一切の運命の原因を釈迦がズバリ端的に喝破された言葉なのです。
「なんでこんな目にあうのか」不可解な運命に翻弄され、人を恨んだり呪ったり、投げやりになったりしては迷い苦しむ我々に、一切は自業自得であり、万に一つの例外はないとお釈迦さまは諭されます。

 

一部が自業自得であり、ある部分においては自業自得でない、と思ってこの言葉を使っている私たちに「それが大きな間違いなのだ、良いのも悪いのも身におきる一切の運命は、すべてが自業自得なのだよ」と徹底して説かれる教えが仏教であり、これが教えの根幹を為しているのです。

 

自業自得を認めることの強さ

 

テレビや雑誌で「日本代表はなぜ負けたのか」特集を組んで語られてますが、滔々と、半ば得意満面で敗因を語ってるのは第三者の評論家です。
負けた監督や選手は誰よりも「なぜああなったんだろう。。。」と頭から離れられないでしょうが、その原因をすぐに分析できるような精神状態ではないでしょうし、むしろ忘れたい気持ちなのではないでしょうか。
負けた直後の選手たちに「なぜ負けたんでしょう、敗因は?」などとマイク突きつけようものなら「今は勘弁してください」と避けられるでしょう。
真剣に取り組んできた人ほど安易に『自業自得だ』と言われたら、耳をふさぎたくなったり、憤ったりしてしまうものです。
しかしその指摘を受け入れていかねば成長はありません。
「たまたまだ」「本当は勝っていた。次やれば勝つから」と言っていては、次も勝てないでしょう。

 

イチローは日米通算4000安打を記録した際の記者会見でこう語りました。
「4000のヒットを打つのに、8000回以上は悔しい思いをしてきた。その一打席一打席常に自分と向き合ってきた。誇れるとしたらそこじゃないかと思いますね」
失敗したとき、負けたときに『自業自得』を認めることがいかに難しいことか、強く知らされての重みのある言葉だと思います。

 

迷信を払拭する自業自得の教え

 

【禍福はあざなえる縄の如し】
良かれと思ってやったことが思わぬ災い【禍】を招いたり、災い転じて【福】となしたり、人の運命はわからないものです。
「なんで私ばかりがこんな目に」と頭を抱えることもあります。
みな【福(幸福)】を求めて生きているのは間違いない、【福(幸福)】に向かって走っていきたい、と思っています。
しかしどんな運命が待ち構えているか、一寸先が闇です。
先に何があるか誰もわかりません。
だから不安なのです。
先行きわからぬこの不安を何とかしたいと占いにすがったり、宮に参って願掛けしたり、祓いや清めの儀式をする人もあります。

 

かかる不透明な禍福(運命)において仏教では一貫して『自業自得』と説かれています。
一切は己のまいた種。
己のまかぬ種は己には生えぬ。
己のまいた種は必ず己に生える
これが仏教の根幹です。

 

自業自得を認めることが成功の始まり

 

「どうしてこんなにも商売がうまくいかないのだろう」と、一人頭を抱えることがあります。
「人一倍、こんなに働いているのに」「こんなに近所にチラシをまいて宣伝しているのに」あれもこれも他の店と比べても明らかに自分の方がやっている。・・なのに結果が出ない。
「世の中、どうなっているんだ、理不尽だ、納得いかない」と腹も立ってくるところです。
しかしこんな時こそ『自業自得』の因果の道理をあきらかに受け止めなければならない時です。

 

「因果の道理」とは仏教の根幹をなす教えで、すべてのことには必ず原因がある、原因なしにあらわれる結果は万に一つもない、という教えです。
【まかぬ種は生えないし、まいた種は必ず生える】
厳粛な因果の道理に狂いはありません。

 

【商売がうまくいかない】というのは結果です。
それには必ず原因があるのです。
他の店は繁盛してるのに自分の店は繁盛していない、ということは、他の店にはない原因が自分の店にある。
繁盛しない原因が必ず自分の店にはあるのです。
その原因をハッキリと知り、それを取り除けば、店は必ず繁盛するのです。

 

しかしその原因究明には痛みが伴います。
だからやる人がいない。
他の店にはできていて、自分の店にはできていない欠点を凝視することになりますから、痛みを伴います。
他の店よりやっている、と自負していたならなおさらのこと、つらいでしょう。
そこを乗り越え、
その欠点を克服すれば、必ずや他の店のように繁盛するようになるのです。
人一倍働いて近所にチラシをまいて宣伝しているという点においては他の店と比べてもできているのですから、他の店より繁盛することでしょう。

 

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