なぜ釈迦は「人生は苦なり」と説かれたか、人間存在そのものの苦しみを明かす

釈尊が35才、仏の悟りをひらかれたさとりの第一声は「人生、苦なり」でした。
仏教をペシミズム(厭世的)で暗いからいやだ、という人があります。
「人生は苦なり、といわれるけど、見方が一方的ではないですか。苦しいことばかり強調しすぎていませんか。失恋もありますが、得恋だってあるじゃないですか。確かにリストラもあるけれど、就職内定もらって喜ぶ時も人生にはあるではないですか。人生を悲観的にばかり見ていませんか」
こんな意見はあるでしょう。
なぜお釈迦さまは「人生は苦なり」と断言されたのか、お話いたします。
順境と逆境
人生には苦しい時と楽しい時があることを仏教でも説かれています。
『順境』『逆境』という言葉です。
『順境』とは調子のいい状態、自分の思い通りになる時のことです。
やりたいことがやれる時、望んだことがかなう時です。
誰でもこんな時は元気が出ますし、毎日が充実します。
「逆境」とは調子に悪い状態、思うままにならない時のことです。
面倒なことが次から次へと起き、「泣きっ面にハチ」「弱り目に祟り目」のことわざの如く、「何もこんな時にこんなことが起きなくても」と悪いことが重なる時です。
こんな時は誰しも憂鬱になりますし、時には生きることが嫌になります。
あなたは現在、順境でしょうか?それとも逆境でしょうか?
極端な順境、明らかな逆境、という人もあれば、どちらかというと順境かな、逆境の方かな、という方もありましょう。
今、順境だとしても、いつまでも続くものではない。今日何か大変なことが発覚し、今晩にはひどい逆境になっているかもしれません。
あるいは今逆境だと言っている人も、今晩には思わぬ素敵なことがあって、順境になっているかもしれません。
いずれにしても順境という状態もずっと続きませんし、逆境という状態も続くものではないのです。
生まれてこのかたずっと順境という人はありませんし、逆にずっと逆境という人もまたありません。
どんな人にでも、順境と逆境があるということです。
どんな人にも順境と逆境がある
よくあなたのまわりに「あいつに逆境あるんかな」というような前向きな(能天気な)人ってありませんか。
「いいなあ、あいつの人生は、順境ばかりで。逆境なんか経験したことないんでないか」とうらやましく感じられる人です。
しかし、そんな人にも必ず逆境はあります。ただその逆境を顔や言葉にあらわさないだけでしょう。
人間的に、そういう訓練ができている人なのではないかと思います。
逆にすぐに表情に表れて、とってもわかりやすい人ってありますよね。
顔見た瞬間に(あっ、今順境だな)部屋でぱっと姿見ただけで、(おっ、逆境だ)というように。
人によってわかりにくい人とわかりやすい人はありますが、どんな人にも順境もあれば、逆境もあります。
順境の後に逆境あり、逆境の後に順境あり
ずーっと順境ということはありませんし、ずーっと逆境ということもまたありません。
旅をしていると、登り道もあれば、下り道もあります。
ぽかぽか陽気の気持ちいい日もあれば、ゲリラ豪雨に遭うこともあれば、風雪吹きすさぶ日もあります。
ちょうど人生も旅のようなもので、気持ちが躍るような順境の時もあれば、不安で苦しくてこの世から消え去りたくなる逆境の時もあります。
旅にずっとポカポカ陽気もなく、ずっとゲリラ豪雨ということもないように、人生はずっと順境ということもありませんし、ずっと逆境ということもありません。
順境の後は逆境あり、逆境の後は順境あり、です。
この逆境、いつまで続くんだろう、と暗澹たる気持ちになることはあるかもしれませんが、そんなものは続きません。世は無常ですから。しばらくの間です。
順境も同じです。浮かれているさ中に、すぐ悩みのタネが舞い込んでくるものです。
ずっと逆境が続くと、何気ないことがとてもうれしく感じることがあります。
高校時代、私の部活は顧問も先輩も厳しく、全員スポーツ刈り、絶えず声をはりあげ、水は飲むとだるくなるからと禁止され、夏休みもずっと朝から夕方まで練習でした。
そんな中お盆の一週間だけは休みで、その休みの日は午前中から寝れることに感謝、甲子園のテレビを見れることに感謝、友人と遊びに行けることに感謝、とすべてがうれしく、有難く感じたものです。
ところがそういう楽しい一週間が過ぎ、また猛暑での練習が始まるその初日や二日目のつらかったことといったら。。。
クーラーの生活から一転した炎天下での体力的な厳しさもありましたが、精神的につらかったですね。
艱難辛苦の日々が続くと、ささいなことがとても感謝できるうれしいものとなりますし、逆に恵まれた状態が続くと、ちょっとしたことがとてつもなく心の負担になったりするものなのです。
登り坂がずっと続くということは、この後に長い下り坂が待っているのを期待できます。
下り坂で楽している距離が長ければ、後で長い上り坂があるのを覚悟しなければなりません。
「春の来ない冬はない」
「朝の来ない夜はない」
どんな逆境も必ず終わりがあります。その後は順境が待ってます。
逆に順境でうかれている人には「今だけだよ」「やがて逆境が待ってるよ」と有頂天に水をささねばならないでしょう。
そんな状態はもう続きませんから。
『沈んで屈するな 浮かんでおごるな』
順逆共に心して進みましょう。
順境と逆境の繰り返しの先にある「人生は苦なり」
人生には、調子のいいときと悪いときがあります。
ここ数か月の自分を振り返ってみるだけでも、憂鬱でどうしようと思ったこともあれば、舞い上がるようなうれしいこともありました。
あれこれあってすでに今年も半分以上過ぎました。
あと年末までの5か月の間にも、何が起きるか予想はつきません。
今まで味わったことのないような苦難があるかもしれませんし、思いがけない慶事が舞い込んでくるかもしれません。
いずれにしても、そういう浮き沈みを経験して、歳の終わりに思うのは「今年も過ぎようとしているな」ということではないでしょうか。
太宰治の『人間失格』の言葉が身にしみます。
ただ、いっさいは過ぎていきます。
自分が今まで阿鼻叫喚で生きてきた、いわゆる人間の世界において、たった一つ、真理らしく思われたのはそれだけでした
順境、逆境を繰り返し、一年はあっという間に過ぎていく。
昨年も、いや20代の時も、30代の時も、このように順境、逆境を繰り返してきた。
来年も40代もこれを繰り返していくことでしょう。
人はこうして人生の登り下りを重ねながら、いったいどこに向かっていくのでしょうか。
目の前の逆境をいかに乗り越え、順境をいかに持続できるかという、目先のことに追われながらバタバタと月日は流れ、ふと振り返り見ればもうこんな年になってしまったのか、と黄昏る、それが人間なのかもしれません。
いったい人は【順逆を繰り返してどこへ向かっているのか】
釈尊が問題にされたのは実に、その『行く先』だったのです。
釈迦が「人生は苦なり」といわれた理由とは
逆境にくよくよせず、前向きに乗り切るのは大事な心得です。
たとえば豊臣秀吉。
戦国の世で天下人まで駆け上がった稀代の英雄ですが、その一生を振り返ると、無理難題は死ぬまで彼に襲い掛かってきました。
気難しく烈しい信長という主君につかえ、同僚からはねたまれ、天下を取った後もプライドの高い諸将の人心掌握に気遣い続けています。
ところがそれらの逆境の悉くを秀吉は、天性の明るさと積極性と豪胆さで乗り切っていきます。
普通の人なら神経症か胃潰瘍にでもかかってしまうのではと思いますが、彼は逆境を前にして暗く沈む人ではなかったようです。
これは成功者の特徴の一つといえるかもしれませんが、秀吉は逆境に嘆くより、やがてくる順境に期待し、それを引き寄せていける自分の才を信じることができる人であり、そして圧倒的に行動できる人でした。
これは生きる上で大事な心がけなので
「夜明け前がいちばん暗い」
「冬来たらば春遠からじ。今が冬ということは、春はもうじきだよ」
失意の人にはそのように励ましていきたいところです。
しかしその秀吉の臨終、辞世の句が
露とおち 露と消えにし 我が身かな 難波のことも 夢のまた夢
天下を取れば満足できると命けずる思いで手に入れたのに、一向に「人間に生まれてよかった」という満足がない。どれだけ金があっても、周りの人をあごで動かすような立場になっても、刹那的な喜びでしかない。心からの安心も満足もできないことに彼自身が驚いたのではないでしょうか。
老いと病と死という最大の苦難が迫っていることをひしひしと自分の身に感じながら、今度ばかりはどう乗り越えることもできず「死んだら一人ぼっちでどこへ行くんだろうか」恐れおののく一個の老人に、天下人の満足の姿はありません。
「順境に笑い、逆境に嘆く」その繰り返しを続ける人生。
うれしい出会いとさびしい別れを繰り返す人生。
儲けたり、損したりを繰り返す人生。
人はこうした順境と逆境を繰り返して、どこに向かうのでしょうか。
確実に老いていき、病になり、死んでいく。
この人生行路を真面目に見つめたとき、今が順境だ、逆境だと騒いでいることがどれほどの意味があるのでしょう。
順境だと喜んでいたことが、あとになって「あんなこと思い出したくもない」と変貌することもあります。
逆境だと苦しんだことが、あとになって「あの時がなければ今の自分はなかった」と感謝できることもあります。
私たちが今順境だ、逆境だ、と騒いでいてもあてにならぬ。そらごとだ。
もう間違いない、万人の厳粛な事実は【人生とは確実に老いと病と死に向かっての行進である】ということです。
釈尊が「人生苦なり」といわれたのは、この【人間存在そのものの苦しみ】を指摘されたのです。
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