「自由」という漢字の意味を知ると、仏教の教えに通じていることがわかる

「自由」という漢字の本当の意味を知ると、仏教の教えの『自因自果』『自業自得』に通じます。
今回は「自由」の意味を学び、仏教に何が教えられているか、学びましょう。
自由と責任の関係を仏教ではどう説くか
やりがいのない、つまらない仕事に不平を持ち、会社をうらみ、上司を憎む人があります。
しかし今そういう立場でそういう仕事をしているのも、自分の選択の結果です。
その仕事、職場を選んだのは自分ですから、己のまいた種の結果です。
他の人がそうなっていないのは、その人がその仕事を選ばなかったからです。
そして今も自分がその仕事を辞めないでいるのも、今まさに自らがそういう状況を自分で選択している結果です。
誰のせいでもありません。
それなのに会社や上司への不平が口癖になっているのは、逆恨みもいいところです。
すべて自分のまいている種なのに、それを忘れているから、そんな不平が口から出てくるのです。
会社に入ればその会社の規則や上下関係に縛られ、家庭では干渉され、国からも税金を徴収されたり、法律で規制されたりしますが、そこに自分の人生の時間をゆだねているのは、己が決めた選択の結果です。
嫌なら、そこから離れたらいいだけのことです。
離れたら離れたで、会社から毎月の給料はもらえず、家族のふれあいやサポートはなくなり、国民の権利はなくなりますが、それを覚悟してその道を進むのもその人の選択です。
本来「自由」という言葉は、【自らを由(根拠)とする】と読みます。
自分で決めて行動したのだから、その結果いかなる事態が引き起こったとしても、すべて「自分を理由にする」ということ。
自由に選んだ結果、何が起きてもその責任は自分にあります。
人になすりつけるものではありません。
「自由にさせてくれ、だけど責任は持たない」
そんなおもしろい自由はありません。
自由には責任が伴うのです。
人生は選択の連続であると覚悟を決める
人生は選択の連続です。
目覚まし時計で目を覚ませば、一日のスタートから選択が迫られます。
布団から出るか、それともそのまま布団で寝続けるか、という二者択一です。
その後も、朝ご飯は食べるかどうか、食べるとしたらパンかご飯か、着ていく服装はどうするかなど、みな多くの選択を繰り返して生きています。
一日の使い方も、仕事するか、人と会うか、本を読むか、自分が選びます。
家でごろごろして一日終えた人は、多くの選択肢の中から、ごろごろするという選択肢を選んだ人です。
日常生活の全て、本人の選択の結果なのです。
時には「就職」「結婚」「転職」「離婚」など、大きな選択を迫られることもあります。
周りはアドバイスをしますが、その声を聞く聞かないを決めるのも自分です。
人ではありません。
「いや、強制的にこちらを選べと言われたんです」と言う人がありますが、その人の言うことを聞かないという選択肢もあったはずです。
その人の言うことを聞かないと都合が悪いと判断しているのは自分です。
その強制的な意見を聞くくらいなら、都合の悪い道を行く選択もあったはずです。
あなたを現在の境遇に追い込んだのは、過去のあなたの選択であり、あなたの未来を切り開くのも、あなたの今からの選択です。
ここに覚悟を決めたときから、人生は必ず好転していきます。
人生は選択の連続であるから、自由であり、自因自果である
過去2回にわたって、「人生は選択の連続である」と話してきました。
自分の人生は人に決められていると思っている間は、苦しいことがあれば、人のせいにします。
ところが、すべては自分が選択した結果だと覚悟を決めると、人のせいにはできなくなります。
アメリカの女流作家エリカ・ジョングはこう言います。
自分の人生は自分で責任を取りなさい。するとどうなるか?恐ろしいことに、誰のせいにも出来なくなります
仏教ではこれを「自因自果」「自業自得」と言われます。
わかりやすく言うと、「まかぬ種は生えぬ。まいた種は必ず生える。己に生えてきたものは、すべて己のまいたものばかり」ということで、これはいつでもどこでも変わらぬ真理だ、と釈迦は説かれています。
この厳粛な自業自得の真理を明らかに観るところから仏教は始まる、といえます。
自分の受ける結果を人のせいにしている間は「あいつのせいだ」「会社がひどいから」「時代が悪かった」と外にばかり目が向いて、自己の内側に目が向きません。
一切は己の選択にかかっている、と受け止めたときから、己の心に目が向きます。
すると今まで気付かなかった自分の心が見えてきます。
「利害打算でばかり動いている心」
「わかっちゃいるけどやめられない心」
「自分の心なのに、どうにもできない心」
いろいろな心が見えてきます。
「仏道を習うは自己を習うなり」(道元)
「よもすがら 仏の道に 入りぬれば わが心にぞ 尋ね入りぬる」(源信僧都)
仏教を「法鏡」と言われるのはこのことか、と知らされてもくるでしょう。
そしてこれが、本当の幸せになる出発点なのです。
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