知識社会で本当に大事な情報は実はただ一つだけ

今回は情報社会・知識社会の落とし穴についていろいろ語っていきます。
そしてこの限られた人生で、これだけはどうしても知っておかなければならない情報・知識とは何か、お話ししてまいります。
目次
情報は何でも知っておけばいいというものではない
私はブログやメルマガで自分のメールアドレスをさらしているので、毎日迷惑メールが届きます。
「必見!一日わずか30分で毎月30万円以上を~」「はじめまして瑠璃です☆実は今~」
こんなのは読みもせず、メールのゴミ箱に直行ですが、解除しても処理してもあとからあとから・・・・・・。
全世界で日夜やりとりされるメールのうち、スパム(迷惑)メールはどれくらいかというと、なんと約90%!だそうです。
10年前が約8%、そこから急激に増加して9割です。
まともにこれらジャンク(がらくた)メールに付き合っていたら、人生の時間の90%は奪われてしまいます。
その昔、ロスチャイルド家はナポレオンの敗戦の情報をいち早くキャッチし、一大資産を築きました。
武田の諜報機関や伊賀の忍者を召抱え、忍びを使った情報戦に先見の明があった徳川家康は、戦国の最後の覇者になりました。
「情報を制するものが世界を制する」
情報を必死に手に入れようと躍起になったものです。
ところが今日はインターネットの普及により、劇的に情報が増えました。
アメリカの機密事項もリークされるという時代ですし、アラブの春に代表されるように独裁政権の情報操作もきかない時代になってきました。
企業の宣伝戦略も巧妙さを増し、購買意欲が次々と刺激されてしまいます。
この現代の情報洪水の中で翻弄されないためにも、自分の中に変わらぬ支柱が必要でしょう。
どの情報が自分にとってどんな意味を持つか、その吟味に相当の関心を持ってしかるべきでしょう。
スパムメールは論外としても、あとの1割の中でも
▼時間の無駄、金の無駄という情報も多い
▼知っているに越したことはないが、捨ててもかまわない情報もある、
▼知れば知るほど健全な心がやられるものもある、
▼これを知ると知らないとでは大違いだ、という貴重な情報もある、
▼人間として生を受けた者、これだけは絶対に知らなければならない、という内容を持つものもある。
現代はこの情報の取捨選択のジャッジメント能力こそ磨かねばならない時代でしょう。
フェイクニュースの情報に振り回されて人生を終えてはならない
フェイクニュースの危険性について、最近取り沙汰されるようになりました。
オバマ元大統領が、2018年の記者会見で事実無根の「ホラ」や「騙し」を流布する“post-truth”といわれるフェイクニュースの隆盛を、「デモクラシーを窒息死させるもの」と強い憂慮を示しました。
そのフェイクニュースの温床として指摘されるのが、フェイスブックなどのSNSです。
確かに真偽が定かでないが、非常に目を引く情報が、私のフェイスブックにも飛び込んできます。
「本当かい!?」とついクリックしてしまいます。
SNSで次々とシェアされて飛び交う情報は、発信源が特定できず、実に無責任な記事ですが、「マスコミが明かさないここだけの真実」という触れ込みがかえって信憑性を演出するのか、使命感に燃えてシェアする人も多くあります。
今後ますますこの傾向は高まるでしょう。
それがアメリカ大統領選にも明らかな影響を及ぼしましたし、それどころか、トランプ自身が「マスコミは嘘」と公言し、自身のSNSのつぶやきで世界を振りまわしています。
寝返りのウソ情報を敵の城下に流したりして、敵を疑心暗鬼にさせたりするのは、武田信玄や徳川家康が得意としたところですが、今や国規模で、世界規模でそんな戦略が立てられています。
さればといってテレビ、新聞などのマスコミが信用できるか、といえば、わずかな「大富豪」が世界の富を独占するいびつな世界ですから、それらの大富豪の都合のいい情報操作がなされていることは明らかです。
ではどの情報を信じていいか、ますます不透明さの増す時代になってきました。
情報を取捨選択する確固たる基準が自分の中にないと、あっという間に大衆の勢いに流されてしまうか、あちこちの情報に付和雷同で機を逸するだけになるか、になるでしょう。
特に世界中で巧みな情報操作が飛び交い、大衆がものすごい勢いで一気に一つの方向に流れていく現代では、なおさら自己の判断基準となる柱を築くことに真摯に取り組むべきです。
その時には「何のために生まれてきたのか」「何をすれば人生悔いなしといえるか」という自己の哲学から始めなければならないのは、ハッキリしています。
ますます偏っていく情報社会「プリズム効果」
池上彰が「ネット空間は上級者のメディア」と言っていました。
とんでもない誤報をつかまされる危険性があるから、というのが、その理由だそうです。
何度も「裏をとる」本や新聞やテレビの情報と違い、ネットの世界は玉石混交です。
最新の貴重情報もありますが、くだらないウソ情報も多く、トイレの落書きでしか書けないような差別中傷もまかり通っています。
何が玉で、何が石か、より分ける眼力が求められるから「上級者のメディア」なのでしょう。
インターネットの世界では「プリズム効果」の危険性も指摘されるようになりました。
「プリズム効果」とは、特定のものだけが大きく見え、他のものが見えにくくなることです。
新聞やテレビと違ってインターネットでは、見たくない情報には触れずに済みます。
そして自分が知りたいことや自分の考えを補強する情報が欲しければ、いくらでも見つけることができます。
SNSなら、自分の気に入らない意見はフォローを辞め、自分の気に入る意見を発信している人だけフォローすれば、自分と違う意見や考え方は、ネット上に存在していても、なかなか目に入らなくなります。
こうして視野の狭い人間が生み出されていくのです。
その昔、カエサルは「人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない」と言いましたが、現代社会はインターネットの出現により、カエサルの言葉はいよいよ重みを増しています。
情報を選ぶのではなく、選ばされている
インターネットで様々な情報が瞬時に手に入る現代、数多くの選択肢からより良いものを自由に選べる社会に私たちは生きています。
しかし実は、選んでいるのではなく、選ばされている、ともいえるのが現代社会なのです。
「うわ、またこの広告か」
都内に住む32歳の女性公務員。
交際相手の実家に初めて挨拶に行った帰り道、フェイスブックを開くと、結婚式場と指輪の広告が表示されている。
結婚はまだ職場でも秘密なのにどうして知ってるの?と薄ら寒い気持ちになってくるこれらの広告は、彼女がアップした記事、閲覧履歴、検索から、婚約中で、まもなく結婚を控えた女性、と的確に把握したフェイスブックが狙い撃ちしてきたものなのです。
GAFA(ガーファ)と呼ばれる、グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾンが、各人の検索や閲覧履歴から膨大な個人情報を持ち、一億円以上の住宅を持つ資産家、遠距離恋愛中、大学中退、最近引っ越した、友達が婚約したばかり、同じスマホを25ヶ月以上使用している、といったところまで適格に把握し、その精度は「あなたの配偶者よりもあなたのことを理解している」といわれるほどです。
GAFAはリアルタイムでその人が必要としているものを先回りし、商品、情報の広告を出します。
外向的な性格の人と内向的な性格の人と広告の文面も変え、嗜好、趣味に応じて、広告の画像、文面、色、形、あらゆる分析がなされます。
思わず私も、パソコンを開いた時にチラリと見える広告に関心をそそられ、ついクリックしてしまうことがありますが、まんまと彼らの戦略に乗せられてしまっているということですね。
怖いのは、乗せられているのに、乗せられている自覚がなく、自分の判断で動いているように思ってしまうことです。
自分で決めているようで決めさせられている、自分で選んでいるようで実は選ばされている、そんな怖い社会に私たちは住まいしています。
有限の命、入れる器は限られています。
決して誰かの戦略で、選ばなくてもいいものを選ばされ、取らなくてもいいものを取らされる人生をごめんです。
「オレがこの人生で本当に手に入れたいものは何か」
確固たる人生の軸である「人生の目的」が己にあるか、よくよく顧みることが大事です。
欲をかき立て得られる情報ばかりの世の中
『サピエンス全史』のハラリ氏がおもしろいことを言っていました。
「資本主義の戒律は二つだ。富める者の至高の戒律は『投資せよ』、それ以外の人々の至高の戒律は『買え』、だ」と。
テレビをつければ「買え」とコマーシャルが呼びかけてきます。
パソコンを開けば画面のあちこちから「買え」「買え」の広告です。
有益な情報ページかなとクリックしても、読み進めていくと、結局は「買え」です。
それでも昔ならどれだけ「買え」といわれてもお金がなければ買えませんでしたが、今はクレジットカードがあるので、現金が手元になくても買えてしまいます。
翌月の請求が厳しくなるからと躊躇していると「大丈夫です。リポ払いにすれば負担はないですよ」とささやいてきます。
資本主義経済圏に生きる大多数の人は、何しろ「買え」「買え」と欲をあおられ、振り回され続け、どれだけお金があっても足りなくなり、金がほしい、金がほしいとみな悩んでいます。
そして富める者、お金が十分にある者には「投資せよ」です。
そのお金を運用すれば、何ヶ月で何倍のお金になるという「魅力的な」投資情報にますます欲をかき立てられ、いつしか毎日、株や仮想通貨のチャートを見ては一喜一憂するせわしい日々になってしまっています。
かくして富める者は強欲に走り、さらにお金を儲けることに時間を使い、一般大衆は自らの渇望と感情に順い、ますます多くのものを買おうとし、歴史上、現代ほど欲に振り回されている時代はないといっていいでしょう。
本当に知らなければならない情報を誰も教えてくれない
仏教に教えられている情報は「なぜ生きる」の答えです。
「なぜ生きる」とは砕いて言えば「(必ず死ぬのに)なぜ生きる」ということであり、「(どんなに苦しくても)なぜ生きる」ということです。
人は必ず死んでいくのに、なぜそれまでさまざまな苦しみに耐えてでも一生懸命生きねばならないのか。
この問いが仏教で言うところの「なぜ生きる」です。
「なぜ生きる」一つの開顕が釈迦45年の教えでした。
世の中には「どう生きる」を教える情報は多くあります。
どうしたら健康になれるか、どうしたら稼げるか、どうしたらあの人とうまくやっていけるのか、この「どうしたら」でみな一生懸命ですから、そのニーズに応えんとして「自分はこうして健康になった、もうかった、仲良くなれた」と実体験を交え、あるいは心理学や物理学や経済学や医学の根拠を用いて、説得力ある「どう生きる」の答えを提供する人はたくさんいます。
しかしそもそも、そうやって生きていくのはなぜなのでしょうか。
人はなぜ一生懸命生きるのか、肝心の「なぜ生きる」の答えはどこからも聞けません。
朝日新聞に、ある46歳の千葉県のA氏の記事が掲載され、その見出しが「治らない人のための情報がない」とあり、心に残ったので紹介します。
A氏は腎臓癌になり、発覚した時点ですでにリンパまで転移しているステージ4状態で、余命一年と医師より宣告されました。
ポジティブで明るい性格のA氏は、フェイスブックにこう記しました。
えー、みなさまにご報告です。腎臓癌になってしまいました。それもステージ4!かなり分の悪い戦いとなりそうですが、最高にチャレンジングな夏になりそうです。秋には、みなさんと美味しいお酒が酌み交わせるように頑張ってみますね~!
それから彼は治る方法を求めてインターネットであらゆる情報を調べました。
ネット上には「これで奇跡的にステージ4の癌が治った」との力強い情報がたくさんあり、その中でも信頼に足るものを徹底的に取り組んだものの、A氏の体調が改善することはなく病状は進行していき、ついに今年の8月、肝臓まで転移してしまい、医師から余命一ヶ月と宣告されました。
「やせ我慢は終わり、奇跡はない」と、治らないことを覚悟したA氏は、今までの「治る方法」を探し回る日々を止め、「治らない人が残された日々をどう向き合って生きていけばいいのか」の情報を調べたのです。
「治らない人が安心し、満たされた心境になるには」インターネットで徹底して調べたものの、その情報が全くない。
がんを克服した人の話はあんなにたくさんあり、それぞれ説得力ある内容だったのに、死を覚悟した人が必要とする情報が全然ないことに驚き、その事実を新聞社の取材で「ここが伝えたいポイント」と新聞記者に力説しました。
この取材から数日後にA氏は亡くなりました。
A氏が心の底から知りたかったのは「必ず死んでいく自分が、闘病生活で心身共につらい中、生き続けていくのは何のためか」「こんな自分に“生きてきてよかった”といえる心の安心、満足はあるのか」ということだったに違いないのですが、その答えがどこにもない、とご本人は言われている、ということは「必ず死ぬのに、どんなに苦しくても、なぜ生きる」の答えがないということです。
この「なぜ生きる」をはっきりと明示されたのが、800年前、日本の京都に生れられた親鸞聖人という方でした。
親鸞聖人90年のメッセージはただ一つ「なぜ生きる」の答えがあるということでした。
必ず死ぬ人間が生きている時に果たさなければならないかけがえのない人生の目的とは何か。
その目的を果たしたならば、人間に生れてきてよかった、生きてきてよかった、という喜びが起きる。
それはいったい何か、徹底して明らかにされ、「その身になるまではどんなに苦しくても生き抜きなさいよ」と教えられたのが親鸞聖人でした。
私が浄土真宗の布教使になったのも、親鸞聖人がこのこと一つ、明らかにされた方であることをお伝えしたいと思っているからです。
A氏のように「治らない自分が生きる意味は」知りたい方が今もどれだけおられるかわかりません。
そんな方に親鸞聖人がどのようにその答えを教えられたか、お話しできればと念願しています。
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