どんな人にも生きる意味があると説かれた親鸞の教えとは

十方衆生皆同じ。仏教には差別はない

 
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菊谷隆太
こんにちは、菊谷隆太です。 東京、大阪、名古屋を中心に仏教講座を主催する仏教講師です。 専門は浄土真宗で、「教行信証」「歎異抄」を学び、皆さんにもお伝えしています。 このサイトは「どんな人にでも生きる意味がある」と宣言された親鸞という方の教えを知っていただきたいと思い、開設いたしました。

仏教に「十方衆生」という言葉があります。
「すべての人」のことです。
仏の大慈悲の対象は「十方衆生」です。
あの人は助けたいけど、あの人は助けたくないという差別は仏にはありません。
なぜ私たちは、仏の眼から見ると皆同じで差別はないのか、今回お話ししてまいります。

 

十方衆生はみな重病人

 

人は人を差別します。
皇族の血を引いているとか、○○民族の血が入っているとか、血統や民族の優劣を問題にして差別する人もあります。
あるいは高収入かどうかで人を値踏みする人もありますし、相手の美貌、容姿で態度を変える人もあります。
このような差別を受けた経験、あるいは見聞きした経験は皆ありましょうし、人間はみな平等でなければならないと思うのに、何でこんなに差別があるんだろうと、世の理不尽さを呪った人も多いと思います。
一方、差別をしないようにと気にするがあまり、かえって腫れ物を触るような対応をされ、傷つく人もあります。

 

どうしても差別してしまうのが人間の眼です。
世界の富に半分は、1%の富裕層が握っており、残る半分の富も、人口の5分の1の比較的豊かな層がほとんど握っており、その他の層が握る割合は、世界全体の資産のわずか5.5%にとどまるそうです。
実に不公平です。

 

仏の眼は違います。
仏の眼からは、全ての人間は、みな平等に重い病を抱えた、かわいそうな人、と見えます。
「生まれたときからあんな裕福な家に生まれ、美貌にも恵まれ、ちやほやされて育ったあの人がなんでかわいそうな病人なのか」という人もあるではないか、と思われるかもしれませんが、仏の眼からは「生死の一大事」という、怖ろしい病にかかっている、かわいそうな人としか見えないのです。
だから仏は人を差別しません。

 

ではすべての人が抱えている生死の一大事とは、どんなことなのでしょうか。

 

十方衆生は死の滝壺に向かっている

 

生死の一大事とは、「必ず死なねばならない」という一大事です。
万人に訪れる一大事です。
以下は、癌にかかったある専業主婦の手記です。

 

私が癌にかかっているということが分かったとき、実に驚きました。
いきなりドカンと頭を殴られたような感じでした。
癌になった人の話は聞いてはいましたけれど、よりにもよってこの自分がなるとは!
すべてのものが急に自分から遠のいてしまいました。
夫も子供も、世の中もすべて幕を隔てた向こうの世界のことのようになり、自分は幕のこちらで、たったひとり、間もなく死んでこの世から去っていく、という現実と向かい合っているのでした。
私にはいろいろ人生への夢がありました。
その大部分はまだ実行できないでいたことでした。
死というものがやってきたら、どんなに中途半端な人生でも、そのはんぱなままで去って行かねばならないのだ、ということに今さらながら愕然としました

 

生死の一大事を前にしたら、今まで差別したり、されたり、浮かれたり、ひがんだりしてきたことは、すべて幕を隔てた向こうの世界のこととなり、どうでもいいことになってしまいます。
そしてただただ孤独で、間もなく死んでこの世から去っていく、という現実と一人向き合うのです。
こんな一大事をみんな抱えています。
これが全ての人間の姿です。

 

これがわかると、気に入らないと思っていたあの人も、生死の一大事を抱えている気の毒な人であり、同病相憐れむ気持ちが起きてきます。

 

ちょうど滝壺に落ちる小舟に乗り合わせてしまった人たちのようなもの。
その小舟の中しか見えない人には、人よりかっこいい帽子をかぶっている人とか、船からの景色の良い位置に座っているとか、いちいち気になるでしょうが、滝つぼがもうすぐ行く手に迫っていることを知る人からすれば、小船に乗り合わせた人、平等に、なんとかしなければならない、かわいそうな人、にしか見えません。
仏の眼には、何人も、滝壺に今まさに落ちようとしている小舟の中です。
ロックフェラーやビルゲイツも、瞬く間に全てを失い、次の世界に堕ちていく、気の毒な人、助けなければならない人なのです。

 

十方衆生みな「無常迅速の機」

 

十方衆生みな「無常迅速の機」と仏は見られます。
無量寿の命を持たれた仏からは、五十年、百年の人間の肉体の命は、滔々と流れる大河にポツンと生じては、パッと消える水泡のようなもの。
その水泡が壊れないように懸命な努力を続けるのが医学です。
しかしたとえ延ばしたところで、無量寿から見れば一瞬です。
早晩、この世の光が全て消滅する日がやってきます。
すべての人の本質的な姿は、確実な未来が暗い、不安な旅路を行く旅人なのです。

 

学生運動が激しかった1960年代、死に至る病にかかったある大学生の手記が、仏の救おうとしている暗い心を示唆しています。
紹介します。

 

私は元気なときは、社会主義革命の理想に燃え、同志たちと一所懸命そのために運動することに生きがいを感じていました。
そうすることによって日本全体もよくなり、社会保障制度も完備し、私たち病気のものも幸福になると信じ、そのために励むことに喜びを感じていました。
ところがこうして病気が悪くなってみると、その運動にも全然参加できず、友達もだんだん訪ねて来てくれなくなり、体の苦しみは増す一方で、自分は人の世話にばかりならなくてはならない。
自分の心の悩みにこうして毎日対面していると、やっぱりそれが自分にとって一番大きな問題であることが分かり、社会主義運動によって人間の社会的な境遇がよくなったとしても、人間の心の深い悩みは解決されないであろうということがわかりました。

 

死はそれぞれの生涯の中で、違った時期に、違った形で、人生の行く手に立ちはだかる。
その時、初めてその威力を思い知る。
これを「生死の一大事」といいます。
この生死の一大事を抱えた十方衆生を平等に救う誓いを建てられているのが、仏教の教えです。
死を前にしては、外国人も日本人もなく、皇族も平民もなく、共産主義者も資本主義者もない、みな一刻も早く救わねばならない存在なのです。

 

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