科学が進歩しても幸せになれない理由を解説

科学が著しく進歩し、物質的な繁栄を遂げたにも関わらず、なお幸福になれないのはなぜなのか、仏教の明かした「幸せになれない原因」をお話します。
科学の進歩は幸福をもたらしたか
私が子供の頃、ハードボイルド風の男性が昼寝から目を覚まし、冷蔵庫に入れていた電話機を外に出す、というCMがあり、今も心に残っています。
プライベートを阻害し、安眠を邪魔する「電話」という文明の機器を否定する生き様に、幼な心にも何か格好良さを感じたので、今も覚えています。
さて現在の私はどうかというと、携帯電話は肌身離せず、時には一通のメール音にもドキッとしたり、憂鬱になったり、なかなかあの格好いい生き方はできそうもない状況です。
アンブローズ・ビアスの「悪魔の辞典」は風刺と皮肉たっぷりの本ですが、「電話」についてこう書かれています。
【電話】
「悪魔の発明である。不愉快な人物を遠ざけておく便利さを、いささか阻害するもの」
1911年に書かれた本ですから、一般家庭の人の給料では電話は持てなかった時代です。
その時から、ビアスは電話の問題点を指摘していました。
携帯電話が普及し始めた頃、会社の上司が外出中の部下に「今何してる?」「午前中の成果はどうか」と聞くようになり、世の多くのサラリーマンが携帯電話を「電子の首輪だ」と嘆くようになりました。
さらに科学は発展し、今はスマホ時代。
遠隔操作アプリもますます向上し、それらのアプリにより24時間、常に居場所を把握することができ「子供の防犯対策もバッチリ!」スマホ内容も常にチェックでき、LINEやSMSなどあやしい内容がないかなどすべて閲覧でき、「子供が犯罪に巻き込まれる事を未然に防げる!」と宣伝文句をうたっていますが、当然それは子供だけでなく、社員の管理や、恋人の監視やストーカーの道具に使われたりもできるわけです。
現代は「不愉快な人物を遠ざけるのをいささか阻害する」どころではなく、プライベートの全てが他人に暴かれる時代になってしまいました。
科学の発展は、人を自由にさせたが、反面、人を不自由にさせているともいえましょう。
マルチな才能で活躍しているリリーフランキーがこう言っていました。
能力があれば成功はできるが、幸福になれるかどうかとなると、話は別だ。
そんなことを思い始めたら、もう終わりだ。
日進月歩、道具は発明され、延命の術は見つかり、私たちは過去の人類からは想像もできないような「素敵な生活」をしている。
しかし、数千年前の思想家や哲学科が残した言葉、大昔の人間が感じた「感情」や「幸福」に関する言葉や価値は、今でも笑えるくらいに、何にも変わっていない
どんなに科学によって世の中が便利になり、経済が繁栄して豊かな生活を送れたとしても、なお安心できず、満足を知らず、生きる喜びを感じられないのはなぜなのでしょうか。
その理由を仏教ではどう説かれているか、続いて聞いてみましょう。
なぜ物質文明を謳歌する現代人は幸せになれないのか
なぜ科学や経済が発展しても人間は幸福になれないのでしょうか。
その答えを仏教では「人間の感じる幸福は比較する“相対の幸福”だからだ」と説かれます。
比較する幸福とはどういうことか、いくつかの事例を通してお話しします。
田舎の高校から東京へ皆で集団就職した昭和30~40年代は、日本全体が貧乏な時代でした。
カレーライスがたまに食べるご馳走だったと聞きますと、確かに今は贅沢な時代だなと思います。
しかし見方を変えれば、経済格差が広がった現代の方が、お金による苦しみは深刻になっているといえます。
あの頃は皆同じようなカレーライスを食べていたのに対して、今は有機野菜や国産肉を使った本格的なカレーを当たり前に子供に食べさせる家と、食費をうかすために安い市販のカレールーで作り置きして食べる家と分かれてきています。
水にしても、野菜にしても、身体にいいものを口に入れようと思ったら、やはりお金が要ります。
経済格差があらわに食生活の差になっている、世知辛い時代だといえましょう。
食生活だけでなく、経済格差は子供の教育格差にも現れます。
有名大学の進学率と親の収入は高い相関関係が見られます。
老後の生活への格差も指摘されます。
夫婦で海外旅行を楽しむ老後を過ごす人もあれば、家でテレビを見るだけの年金暮らしという人もあり、今後その差はますます大きくなっていくといわれます。
格差による「羨望」「嫉妬」「屈辱」など、お金によって感じる不幸は集団就職の時代より高まっているといえましょう。
これはある歴史学者が言っていたことですが、科学が今後ますます発展して、あらゆる病気の治療法が確立され、効果的なアンチエイジングや再生医療を可能にし、いつまでも若くいられるようになる時代が到来したら「おそらくかつてないほどの怒りと不満を人々は持つことになるだろう」と予測しています。
新たな奇跡の治療法を受ける経済的な余裕のない人、つまり人類の大部分は怒りに我を忘れるだろう、と言います。
その怒りとは「貧しい俺たちは自分は死を免れないのに、金持ちは永遠に若くて、美しい」というもの。
どんなに食べるものや住むところが違っても、若さや健康や寿命だけは貧富の差別なく、平等だと自分を慰めていたのに、その唯一平等なものまで貧富の差により差が出てくることに、人々は不幸を感じるだろうとの指摘です。
いくつかの事例を通してお話ししてきたことは、人間は比較の対象によって「まだましだ」と安心したり、感謝したり、逆に「何で自分はこんな目に」と惨めに思ったり、屈辱を感じたりするということです。
比較相対する幸福しか知らないのがが人間の幸福感です。
だからどれだけ社会が豊かになっても、医療や科学が発達しても、その社会で周りの人と比較して不満やイライラを募らせるのですから、真の幸福、真の心の平安は得られないのです。
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