どんな人にも生きる意味があると説かれた親鸞の教えとは

逆境を乗り越えるために知っておきたい釈迦の教え

2020/11/19
 
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菊谷隆太
こんにちは、菊谷隆太です。 東京、大阪、名古屋を中心に仏教講座を主催する仏教講師です。 専門は浄土真宗で、「教行信証」「歎異抄」を学び、皆さんにもお伝えしています。 このサイトは「どんな人にでも生きる意味がある」と宣言された親鸞という方の教えを知っていただきたいと思い、開設いたしました。

挫折したり、批判されたりする『逆境』にあって、私たちはどうあるべきか、お釈迦さまの教えに基づき、今日はお話いたします。

 

逆境がないのは、決していいことではない

 

宇宙の無重力空間では、数週間で20~30パーセント筋肉量が減少するそうです。
宇宙で筋トレをしないと、地球に帰ってきた時に歩けなくなるそうです。
筋肉は使わなくなると、すぐに衰えてしまうのです。

 

脳は生まれた時には、140億個の神経細胞がありますが、20歳から1日10万個死滅するといわれています。
1秒間に1個、1年で3650万個、3年で1億個の細胞を失うことになります。
しかし頭を使うと、神経細胞同士がつながり補い合って働きます。
頭を使わなくなるとつながり(ネットワーク)も弱まり、働かなくなります。

 

負荷がかからないと、すぐに脆弱になるのは、筋肉や脳だけではありません。
仕事もすべて上手くいっている状況より、頭を悩ませる一つ二つあった方が通常モードだと思いますし、人間関係も、自分を嫌う人がいたり、適度のもつれがあるくらいが健全な状況ともいえるかと思っています。
あらゆることにおいて、ある程度の負荷がないと、後からが大変になります。
万事順調、一切悩みなしの状況は、実は歓迎すべきものでもないのです。

 

 

批判は自分を向上させる

 

私は自分の書いた文章を「分かりにくいところを教えてくれ」とお願いして、親しい友人や家族に読んでもらうことがあります。
あるいは車中で助手席の家族に文章を朗読してもらい、それを第三者の文章をぼーっと聞き流す感覚で引っかかるところを探します。
これは文章を書く人は心がけていることだと思います。
自分の文章は思い入れもあり、どうしても独りよがりになるので、欠点が分かりません。
他の人の批評こそが、向上の近道なのです。

 

しかしそう理解していても、意見を言われると、釈然としない思いがもたげてきます。
「そんなこと知っている」「わかっててわざとこういう表現にしたんだ」「それは浅い視点だ」と、いろいろ思いが出てきます。
何日もその文章をずっと考えてきた一角の自負がありますから、他人の意見をスッと聞き入れられないのです。

 

しかし世にこの文章が出てきてから読む人は、さっと読んで、続けて読みたいとなるか、つまらないとなるか、あっという間に判断されてしまうのですから、思い入れなくさっと読み流して判断する他人の意見こそ重要なのです。
「もっと執筆者の深い視点を探ってみて下さい」と要求することは、筆者のわがままに過ぎません。

 

ある執筆者が、編集者に文章を批評してもらうためにしている独自の工夫に感銘を受けました。
その工夫とは、部屋に衝立を立て、執筆者が自分の書いた原稿を大きな声で読む。
編集者は衝立の影にいて、分かりにくい箇所だと思ったら鈴をたたく。
執筆者はチーンと音がしたら、その箇所に印をつけ、後で文章を練り直す。
手に入れた文章を再度、衝立の影から聞いてもらう、こういう過程を繰り返すそうです。

 

執筆者、とくにそれが名声や立場のある人になると、自負もありますので「お前に何が分かる」という、穏やかならざる気持ちも出てきます。
編集者の方も、たとえ文章にいろいろ気付くことがあっても、その道の専門家に向かって意見を言うのはおこがましいし、自分の思いが間違っているかも知れないと遠慮してしまいます。
その点、鈴をならすのでしたら、誰が指摘したかも分からず、人間関係に歪みが生じないということで、よく考えられているすぐれた方法ですね。

 

 

慢心が叩き折られる逆境が人生を飛躍させる

 

「骨折れば より強くなる 何事も」
骨折して再びくっついた骨は、より太く、丈夫になると聞きます。
失敗したり、挫折したりして、自己嫌悪でくよくよしたりする時に、思い出したいことわざです。

 

リオ五輪で全階級メダル獲得の偉業を成し遂げた男子柔道の井上康生監督は「選手たちを誇りに思う」と涙で声を詰まらせました。
その涙の裏には、プライドもかなぐり捨ててのなりふり構わぬ練習がありました。
4年前のロンドン五輪で、男子柔道が初のメダルなしに終わった時、井上監督は「このままではヨーロッパの柔道には勝てない」と痛感し、ヨーロッパの柔道を積極的に学んだとのこと。
サンボなど他国の格闘技も取り入れます。
日本のお家芸であり「きれいに勝つ」を信条にする日本柔道が、他国の「JUDO」を学ぶというのは、勇気の要る決断でした。
このたびの躍進は、「このままでは勝てない、と痛感した」と語る井上監督の挫折、屈辱が元になっていると感じました。

 

幕末の日本では、外国人を日本から追い払えと「攘夷」の嵐が吹き起こりましたが、「薩英戦争」「下関戦争」で外国に完敗した薩摩藩と長州藩が、刀や火縄銃などの日本の武士では、欧米に勝てないと痛感し、倒幕の中心となり、明治政府が樹立しました。

 

慢心が叩き折られた時が、向上と躍進のスタートであるのは、どの分野でも同じだと知らされます。

 

 

逆境にあって知っておきたい釈迦の教え

 

お釈迦様が勧められた六つの善い行いの一つが『忍辱(にんにく)』です。
苦しいとき、屈辱にまみれたようなとき、腹を立てずに、投げやりにならずに、逃げ出さずにじっと忍耐することです。

 

「じっとこらえているだけですけど、それだけで善い行いなんですか?」と思われる方もあるかもしれません。
「まかぬ種は生えぬ まいた種は必ず生える」と聞くと、じっと耐えているだけというのは、なにの種もまいていないように感じられるのかもしれませんが、『忍耐すること』はお釈迦様が「素晴らしい善行なのだよ。」と教えられています。

 

「あれがだめなら、こっちはどうだろうか」と取り掛かってみるものの、だめになる。
「小さなところから着実に」と取り組もうとしても、やはりだめ。
やることなすこと裏目になると「もう何をやっても無駄」という気持ちになります。
「こんなつらい状態で、いつまで生きなければならないのか」
すべてを投げ出して消えてしまいたくなります。

 

そんな不遇な時に思い出したいのが

『忍耐はすべての道を通す』

という言葉です。

 

若いときに、この言葉が自分自身とても支えになった時がありました。
これからもそんな時がくるでしょうが、そんなときに支えになる言葉だと今も大事にしています。

 

どちらに動いてもだめ、何をしゃべってもだめ、恥ずかしくても、みじめでも、そんなときに投げやりにならずに忍耐する。
何もできない時は呼吸するだけでいい、生きているだけでいいのです。

【朝の来ない夜はない】

【春の来ない冬はない】

 

世は無常です。
いつまでも今のようではありません。
5年前に一番大きな悩みだったことを今もそのことで悩んでいる、という人はそんなにないものです。
あの当時は死んでしまいたいと思い詰めたことだったのに、今では「あんなこともあったな。」と笑って語れる思い出の一つになっていたり、今の自分にとって糧となっているものもあります。
あの時、投げ出さなくてよかった、死ななくてよかった、と思えるときがきっとあります。

 

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こんにちは、菊谷隆太です。 東京、大阪、名古屋を中心に仏教講座を主催する仏教講師です。 専門は浄土真宗で、「教行信証」「歎異抄」を学び、皆さんにもお伝えしています。 このサイトは「どんな人にでも生きる意味がある」と宣言された親鸞という方の教えを知っていただきたいと思い、開設いたしました。

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