なぜ仏教では「ウラミ」「報復」「仇討ち」をバカな発想と説くのか

「報復」は真理を知らない愚かな心から起きる
「倍返しだ!」の決めゼリフ『半沢直樹』がヒットしたのも、やられたらやりかえす報復の痛快さに、日ごろのストレスを解消する会社員が多かったからでしょう。
私たちは誰かに苦しい目にあわされると、相手も同じ苦しい目にあわせなければ、我慢できない気持ちになります。「あいつが安穏と暮らしているのは許せん。俺の受けた苦しみをわからせたい」と躍起になるものです。
しかし実は相手を同じ苦しみにあわせたところで、自分の苦しみが癒されることは全くないのです。
仏教では、「報復」は真理を知らない外道の発想と教えます。
すべては己のまいた種なのに、人のせいにして「あいつのせいだ、こいつのせいだ」と恨むのは、「自業自得」の真理に暗い、迷った思いだからです。
【ウラミからはウラミしか生まれない。何かにうらんでいる限り、煩い悩むばかりで、心に平安は訪れない】と仏教は教えます。
そして解決法を【すべては己のまいた種であったと認めたときに、ウラミは退治できる】と説かれています。
報復したい心になったときに思い出したいエピソード
私は報復の繰り返される実態を見たり聞いたりしますと、法然上人の出家の動機のエピソードを思い出します。
法然上人は、漆間時国という武士の子として生まれられ、幼名は勢至丸といわれました。
勢至丸が九歳の時、源定明という武者がふとしたことから時国を大層恨み、ある夜半、大勢の手下とともに時国の館を襲ったのです。
不意の出来事に多勢に無勢、たちまち切り伏せられてしまい、騒ぎに目を覚ました勢至丸が時国の寝所に行ってみると、すでに賊どもの姿はなく、血まみれの父が、臨終の虫の息で横たわっていました。
「父上、さぞかし無念でございましょう。武士が互いに一騎打ちをして、武芸つたなく敗れたのであればともかく、寝首をかきに来るとは何たる卑怯な賊ども。勢至丸が成長した暁に、敵は必ず取ってごらんに入れます」
けなげに敵討ちを誓う勢至丸、しかし、時国は必死にこうさとしました。
「勢至丸よ、志はうれしいが、それは父の望みではない。無念の死はわが前世の業縁によるもの。もし敵討ちが成就しても、敵の子はまた、そなたを敵と恨むだろう。そうなれば幾世代にもわたって敵討ちは絶えない。愚かなことだ」
「父上!」
はらはらと涙を流す勢至丸の手をかすかに握り、時国は最後の力を振り絞る。
「父のことを思うてくれるのなら、出家して日本一の僧侶となり、菩提を弔ってくれ……よいか……これが父の最後の望みだ」
言い終わるや、息絶えました。
この遺言は、勢至丸の心中深く刻み込まれ、仏門に入られたのでした。
報復、敵討ちのような心が自分の心の中に鎌首を持ち上げてきたときに、己に言い聞かせたいエピソードだと思っています。
苦しいとき、ウラム心が回れ右できるかどうか
苦しい時、人のせいにしてウラム人は多いですが、それをバネに向上できる人は少ないようです。
なぜ少ないのでしょうか。
それは苦しいとき、なぜこうなってしまったのか、その原因を反省するのに痛みが伴うからです。
環境のせいや時期のせい、あるいは自分以外の誰かのせいにしてしまうのは楽です。
そう思ってしまうのが人の常です。
「全ては己のまいたタネ」と自己を見つめることのできる人はなかなかいません。
レストランなら、なんで客が来ないのか、と問われても、おいしくないからだ、とはもう認められないでしょう。
料理の腕に誇りのある店主なら、なおさらです。
セミナー講師なら、なんで人が来ないのか、と頭を抱えても、なかなか「話がつまらないからだ」と自分を反省できないものです。
長年こうしてやってきたんだと経験のある講師ほど、その指摘は受け入れ難いでしょう。
人は成功したとき、評価を受けたときは、自分の腕や才能を誇り、周りに触れ回るのですが、失敗したとき、負けたとき、挫折した時には、一転、もう自分のせいだと思えなくなります。
たいてい、あいつのせいだ、こいつのせいだ、と周りに当たり散らしたり、反省するのが嫌でごまかしてしまったりするものです。
悪い結果の時に『自業自得』を受け止めるのはとても難しいので、それができる人はめったにいません。
だからまた成功する人も少ないのでしょう。
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