どんな人にも生きる意味があると説かれた親鸞の教えとは

火宅無常の世界とはどんな意味か、わかりやすく説明する

2020/11/19
 
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菊谷隆太
こんにちは、菊谷隆太です。 東京、大阪、名古屋を中心に仏教講座を主催する仏教講師です。 専門は浄土真宗で、「教行信証」「歎異抄」を学び、皆さんにもお伝えしています。 このサイトは「どんな人にでも生きる意味がある」と宣言された親鸞という方の教えを知っていただきたいと思い、開設いたしました。

『歎異抄』という日本の古典に『火宅無常の世界』という言葉があります。
家のひさしに火がつき、みるみるうちに障子やふすまが燃え、家屋全体が火に包まれてしまうように、私たちの生きているこの世は、思いもよらぬ事が突如として起き、何十年と大事にしてきたものも一気に崩れ去ることがある、常にそんな不安にさらされているのが人生の実態ですから「火宅無常の世界」といわれるのです。

 

火宅無常の国、日本

 

大きな地震があるたびに、改めて日本が地震の国であることを思い知らされます。
地震はプレートのひずみで起きるので、二つのプレートの交差する真上に位置する国は、地震の起きる可能性が高い事を覚悟しなければならないと言われます。
その点、プレートの世界地図を見たらわかりますが、日本は最悪です。
なんと4つの大陸プレートが日本列島を交差しているのです。
よって国土面積が世界のわずか0.3%に過ぎないこの国で、世界の大地震(マグネチュード6以上)の2割が発生するのです。
さらには日本列島は台風の通り道であり、豪雪もあり、国土は山がちなので、河川の上流から下流までの長さがきわめて短く、洪水、山崩れも頻発します。
予期せぬ大災害で命を奪われ、呆然とする人たちの姿を、私たち日本人は何度見せつけられてきたことか、まさに『火宅無常の世界』です。

 

0.3ミリのはかなさに火宅無常の世界を見る

 

小学生の時、いつもテレビで慣れ親しんでいた人だったからでしょうか、西城秀樹の訃報には、一瞬虚を突かれたような驚きがありました。
その後テレビで報じられる内容から、さらにドキリとしたのは、彼が48歳で脳梗塞を起こしていたことでした。
48歳といえば、自分と同年齢。
それまでは脳梗塞は高齢者の病気だと思っていたのですが、自分もいつ脳梗塞になってもおかしくないのか、と思い知らされました。
脳梗塞は、脳の血管がつまる病気です。
脳の血管が破れれば、脳出血、クモ膜下出血です。
なんでも脳の血管はわずか0.3ミリ前後だそうで、その0.3ミリの血管が破れると、バットで頭を殴られたような痛みが襲うとのこと。
脳という臓器は何と繊細なのでしょう。
脳には、0.3ミリの血管が網の目のように張り巡らされており、その一つが破れたり、詰まったりすれば、脳梗塞や脳出血で昏倒、そのまま意識戻らず死を迎えるか、半身不随になるのです。
いつ何時、脳の血管が詰まったり、破れたりしても、そりゃ0.3ミリの細さなのですから、今晩にでもそうなることは十分あります。

 

私の知り合いで脳梗塞で飲み込む力がなくなり、胃ろう(胃から栄養を摂取する)になった人がありますが、もしそうなってしまったら、今までこれがあれば幸福だと30年、40年かけて必死にかき集めてきた金や地位、名声や健康などはうたかたの泡のように消え、「こんな人生何なのか」と嘆き悲しむことになります。

 

これだけ貯金があれば、あと20年は余生を楽しく暮らせる、旅行に行って美味しいものでも食べて過ごそうと思っていても、その幸福は20年保つどころか、わずか0.3ミリの脳の血管が破れただけで失います。
金も名誉も財産も、わずか0.3ミリの幸福なのです。

 

胡蝶の夢と化すか、火宅無常の人生

 

「胡蝶の夢」といわれる故事があります。
「胡蝶」とは蝶々のことで、中国の思想家・荘子が蝶(ちょう)になった夢を見た、という話です。
花から花へひらひらと楽しんでいたが、急にハッと目が覚めた。
そこにはいつもの部屋、いつもの布団に人間である自分がいる。
荘子はあまりにリアルな夢に「あれは夢だったのだろうか」「いや、この人間の姿をしている今が、夢なのではなかろうか」としばし戸惑った、という話です。

 

私も悪夢と言うほどでもないですが、何か大きな失敗をしでかして狼狽する夢を見てハッと目が覚めた時「あ~、夢でよかった」と胸をなで下ろすことがあります。
ところがあまりに深刻な夢の内容に「あれ、夢だったんだよな」としばし自問した経験もあるので『胡蝶の夢』の故事には共感するものがあります。

 

先日、仏教の勉強会に来られた40代の男性の方の話にも『胡蝶の夢』を思い出しました。
その方は奧さんを亡くされ、5年経つというのですが、今なお奧さんと交わした会話をふと思い出されるそうです。
そういえばあいつ、あんなこと言っていたなあ、もう5年も経つのに、と思われるとのこと。
二人で言い合った冗談や些細なことでケンカしたこと。
しかしその記憶も「あれって、本当にあったことなんだろうか」と自信がなくなってくる。
なぜなら、確かにそういうことあったね、とその時のことを証明してくれる人がもうこの世にいないのだから。
自分のぼんやりした記憶の中にあるだけのこと、本当にあったんだろうか、ふとすると夢の中での出来事のようにも思えてくる、と言われていました。
夫婦で心を通わせた日々も、胡蝶の夢と化してしまった、ということでしょう。

 

今年あったことも、昨年経験したことも、いつの日か胡蝶の夢と化すのでしょうか。

 

火宅の世にあって私たちが向かうべきところとは

 

以前、友人が語ってくれた体験談が、まさに「胡蝶の夢」の故事そのものだと感じ入るものだったので、みなさんにも紹介いたします。
当時、神戸の大学生だった彼は、灘区のアパートで被災しました。
誰かに「起きろ」と激しく身体を揺り動かされたと思って目を覚ますと、誰もいない。
視界が暗い。
しばらくは何が起きたか分からず、暗がりにじっと目を凝らすと、木造長屋の2階だった部屋が、そのまま地面に落ちているのに気づいたのです。
何が起きた!?
すぐに建物の外に出たところ、そこで初めて事態の深刻さに息をのんだ。
神戸の街が一変していたからです。
徐々に震災での建物崩壊、火事、その犠牲者の情報が明るみになり、自分が助かったのが当たり前でなかったと知らされたのでした。

 

数日間、避難所で過ごしたあと、大阪の実家に帰ると、全くいつもどおりの風景なのに、また驚いたそうです。
普通にテレビ見ながら家族と夕食、コンビニ行けばいつものBGMが流れ、隣の家のおじさんがいつものように庭いじりをしている、いつも通りの日常。
神戸で見た風景も、この大阪もどちらも仮の姿でないか、と痛感したそうです。

 

『火宅無常の世界は、万(よろず)のこと・皆もって、空言(そらごと)・たわごと・真実(まこと)あることなきに、ただ念仏のみぞ真実(まこと)にておわします』

まさに私たちの住まいしている世界は『火宅無常の世界』、その火宅の世界で、私たちは何かに「これこそ己の生きる意味」と精魂を傾け、ときに泣き、笑い、怒り、焦りますが、いつしかその何もかもが、胡蝶の夢と化してしまいます。
「万(よろず)のこと」も「皆もって」も、共に「すべてのこと」であり、「これだけは例外」ということはない、世の一切が空言(そらごと)だぞ、たわごとだぞ、真実(まこと)は一つもないぞ、と言葉を重ねて親鸞聖人は断言されています。

 

ところがその同じ親鸞聖人が『ただ念仏のみぞ真実(まこと)にておわします』といわれているのです。
ただ一つの真実(まこと)と聖人が言いきられる『念仏』とはいったい何のことなのでしょうか。
この『念仏』の意味こそ、歎異鈔をひもとくカギです。

 

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