どんな人にも生きる意味があると説かれた親鸞の教えとは

仏教とキリスト教の、殺生における考え方の違いを比較する

2019/04/10
 
この記事を書いている人 - WRITER -
菊谷隆太
こんにちは、菊谷隆太です。 東京、大阪、名古屋を中心に仏教講座を主催する仏教講師です。 専門は浄土真宗で、「教行信証」「歎異抄」を学び、皆さんにもお伝えしています。 このサイトは「どんな人にでも生きる意味がある」と宣言された親鸞という方の教えを知っていただきたいと思い、開設いたしました。

仏教とキリスト教では、動物を殺す行いについて大きく教義が異なります。
仏教では、生き物を殺すことを「殺生罪」といい、私たちの犯す「十悪」の一つに教えられています。
一方、キリスト教では殺生を罪とは言いません。
その違いについてお話しいたします。

 

キリスト教では、動物を殺す殺生についてどう教えるか

 

キリスト教には「殺人をするな」との戒律はありますが、動物を殺すことを禁じられていません。
それどころか旧約聖書、創世記の一節にこうあります。

「神は彼らを祝福し『産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ』『生きて動いているものはみな、あなたがたの食物である』と言った」

 

キリスト教では、動物は人間に食べられるために神が用意したもの、なのです。
これは旧約聖書ですから、イスラム教、ユダヤ教も同様の教義です。
万物の創造主にして、一切の運命をつかさどる神がそう決めたのだから、動物を殺して、肉を食べることを罪にはならないことになります。

 

むしろ動物が人間に刃向うことが、神に対しての不遜な態度ということになりましょう。
人間に食べられるために神に造られたのが彼ら動物だ、という発想からは、動物を人間が殺して肉を食すことに文句言われる筋合いはなくなります。
何の違和感もなく、ヨーロッパの教会の横に屠殺場があるのは、そういう思想的背景からです。

 

仏教では、動物を殺す殺生をどう教えるか

 

 

一方、仏教ではすべての生命は同根である、という立場です。
今、人間として生を受けている我々も、輪廻している生命の歴史の中には、どんな動物に生を受けたことがあったかも知れないと説かれます。

 

輪廻転生の生命の実相からすると「人間のみが偉い、支配して当然の存在だ」とは人間の勝手な言い分です。
人間があまりに強くて、比較すれば他の動物はあまりに弱いので、抵抗もできなければ、文句も言えないだけなのです。

 

しかしそれは今はそうですが、私たちとて、いつまでも独裁者の立場ではないでしょう。
地球の環境が変わったり、他の動物が台頭してきて、その座を奪われるかもしれません。

 

また人間もいつまでも人間でもない、人間としての今の立場も無常と、仏教では説かれます。
因縁あって今は人間ですが、いつまでもそうではない、輪廻転生を繰り返す中で、様々な形に生を受け、そして死んでいく生命の実態を明かしています。

 

だから仏の目にはすべての生命は平等であり、上下はありません。
生きとし生きるもの全て、十方衆生の救済が、仏教の究極の目的です。

 

釈尊のご臨終を描かれた釈迦涅槃絵図には、亡くなられたお釈迦様を取り囲むようにして、激しく嘆き悲しむ弟子や大衆の姿が描かれていますが、
人間だけでなく、森の獣たちまでも集まり、ともに嘆き悲しんでいる姿が描かれています。
その一枚の絵からも、釈尊の慈悲の深さが生きとし生けるものすべてのものに及んでいる様子がよくわかります。

 

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