教行信証を親鸞聖人が書かれた目的に驚く

親鸞聖人には数多くの著作がありますが、最も心血を注がれた聖人の主著は『教行信証』全六巻です。
親鸞聖人の信心と教義のすべてが記されているこの著作を浄土真宗では「根本聖典」、略して「御本典」といわれます。
今回は『教行信証』とはどんな著作なのか、お話ししてまいります。
教行信証には読む人を惹きつける不思議な魅力がある
親鸞聖人の教えを知りたければ『歎異鈔』を読め、と言う人が多くいます。
確かに『歎異鈔』は美しい文章で読んでいて心地よく、仮名交じりで読みやすく、多くの人に愛読されますが、親鸞聖人の教えを正確に知ろうとした時には、『教行信証』を拝読する以外にはありません。
成立時期は、聖人五十二歳、常陸(茨城県)におられたころです。
しかし亡くなられるまで加筆修正を繰り返され、何度も推敲を重ねられているので、まさに聖人畢生の大著といえましょう。
『教行信証』をどのページでもいい、開いてまず目に引くのは、膨大な経典や注釈書からの引用でしょう。
親鸞聖人はご自身のなされた解釈の後に、それを裏づける経典、またインド・中国・日本の高僧方の著作を縦横無尽に引用され、根拠として示しておられます。
「さらに親鸞私なし」
“親鸞が勝手に言っていることは一つもない。釈迦の教えを明らかにする、その使命に生きるのみだ”
生涯貫かれた聖人の精神は、この『教行信証』に、いかんなく打ち出されています。
そういった意味では、学究を極めた者同士が真剣勝負で是非を論じ合う、あいまいさを排除した学術論文を読むような感があります。
ところがその一方で、教行信証に書かれた聖人の一文一文は、なんともいえない不思議な魅力にあふれているのです。
哲学者の三木清は『教行信証』を評して「根底に深く抒情を湛えた芸術作品」と言っています。
私も親鸞聖人の教えを学び始めた18歳の時、まだ仏教のイロハが何たるかも分かっていなかった時期でしたが、『教行信証』を初めてパラパラと読んだ時、ところどころの文章に、言葉も文章の構造も、現代とまるで違うのに、聖人の息遣いまで感じるような、何かすさまじい迫力と臨場感を確かに感じました。
教行信証は不思議な書です。
厳めしい学者の論文のようのも見え、固い古典のようでもあり、それでいて、情熱の丈を言葉に込めた詩を読んでいるような感もあります。
そのことを前述の三木清は「『教行信証』は思索と体験とが渾然として、一体をなした稀有の書である」とも評しています。
では、多くの人を魅了して止まぬ『教行信証』の、不思議な魅力、迫力の源泉は、いったいどこにあるのでしょうか。
それは親鸞聖人が体験された「心も言葉も絶え果てた」絶対の幸福の境地にありました。
そのことをハッキリと知ることができた人は、幸せな人です。
大歓喜の声が響き渡る教行信証
『教行信証』全六巻は「よろこばしきかな」で始まり、「よろこばしきかな」のお言葉で終わります。
絶対の幸福に救い摂られた聖人の、書いても書いても書き尽くせぬ喜びが全巻にあふれています。
文芸評論家の亀井勝一郎氏も「『教行信証』全巻には大歓喜の声が響きわたっている」と驚嘆しました。
私たちも時に「ああ、幸せ」と高揚感に包まれることがあっても、何か起きるとあの幸福感はどこへやらで、すぐ憂鬱な思いが胸一面を襲います。
なまじっか幸福の座に上がると、何も起きる前から、その幸福の座からいつ引きずり下ろされるかと戦々恐々とし、よけい悶々と悩むものです。
親鸞聖人が獲られた絶対の幸福は、そんな、今日あって明日どうなるか分からぬ幸福ではありません。
色あせることも薄れることもない安心、満足を聖人は『教行信証』に高らかに謳い上げられており、その熱火の法悦が、八百年の時を超えて、読む者の胸を打ちます。
絶対の幸福は、私たちが頭でこねくり回して「考えてみれば幸福な方だよ」「ああいうのと比べたら今を感謝しなきゃ」と言い聞かせなければならないものでもありません。
それは『教行信証』の冒頭から、絶対の幸福になられた親鸞聖人の燃えるよろこびがビンビン伝わってくることからもわかります。
「あいがたくして、今あうことをえたり」
「聞きがたくして、すでに聞くことをえたり」
あいたくてあいたくて求めていたものに、今あえたという、聖人のほとばしるよろこびの告白です。
ではこのように親鸞聖人が筆を取られ、ご自身のよろこびの告白を紙に残された目的はいったいどこにあったのでしょうか。
ふつう人に何かを話す時、誰かに向かって何かを書く時には、目的があります。
話しているその人にどういう気持ちになってもらいたいのか、読む人にどんな思いを持ってもらいたいのか、相手があって話したり、書いたりするのです。
確かにただうれしさのあまりのろけたり、つい自慢したりすることもあるにはありますが、教行信証がそんな一時的な感情や思いつきでないことは、あの緻密な構成、徹底した推敲の跡からもよくわかります。
どんな困苦にも打ち克って「これ一つ伝えたい」という何か強烈なメッセージがなければ、断じて書ける書ではありません。
では聖人が絶対の幸福の境地を語られた目的は何だったのか、
それは「すべての人に絶対の幸福があることを知らせたい。親鸞と同じ心になってもらいたい」これ一つでした。
「道俗時衆共同心」
“すべての人よ、どうか親鸞と同じ心になってもらいたい”
これが親鸞聖人の真情でした。
「絶対の幸福なんかなれるもんか」「私みたいな者には無理だよ」としか思えない私たちに「なれるんだよ。生きている今、なれる時がある。すべては他力(阿弥陀仏のお力)だから、皆なれるんだ」と、親鸞聖人は『教行信証』で励まし続けておられます。
臨終まで加筆修正を続けられた教行信証
親鸞聖人の主著『教行信証』の大綱(おおまかな内容)が成立した時期は、常陸(茨城県)におられた、聖人五十二歳ごろと言われます。
その頃の聖人は、関東一円を精力的に布教に回られていた時期です。
赴かれた関東の地を調べると、居を構えられた常陸(茨城県)の各所はもちろんのこと、下総(千葉県)や相模(神奈川県)など大変な距離を歩かれ、各地で説法をされています。
あんな激しい布教活動の最中に、いつあの大部な『教行信証』全六巻を書かれたのだろうか、と驚きを禁じ得ません。
日中に歩かれ、説法され、帰宅後、疲労困憊されてもなお何としても伝えなければならないことがあると筆を取られ、『教行信証』を執筆されたのでしょう。
では、親鸞聖人がそうまでして伝えられたかったことは何だったのか。
それは「絶対の幸福」の厳存でした。
「絶対の幸福」を親鸞聖人は『教行信証』に「不可称・不可説・不可思議の幸福だ」と言われています。
不完全な言葉で絶対の幸福は表現できないので、「不可説」の絶対の幸福、と言われたのです。
言葉で表したものは真実の救いではない、しかし言葉でしか教える術はない。
「不可説」と知りつつ、困難性と危険性と重大性を深く理解され、その上でこうも説いたら分かってくれるか、ああも話したらよかろうか、どう説明したら正しく理解し、求めるようになってくれるのか。
『教行信証』六巻に、あらゆる言葉を尽くし、表現を極めて、縦横無尽に根拠を引かれ、絶対の幸福の厳存を示されています。
だが、とどのつまりは、「不可称・不可説・不可思議の幸福だ」と言うよりなかったのです。
親鸞聖人の小説や映画でよく描かれるのは、流刑の地、雪深い越後で窮乏と戦いながら村人に仏法を伝えていかれたご苦労とか、関東で剣をかざして自分を殺しにきた山伏弁円にも、殺されるのを覚悟の上で仏法を伝えられたご苦労などです。
これら数多くのエピソードから、聖人が大変なご苦労をされ、仏法を伝えてくだされたことを感謝する人は多いのですが、それ以上に聖人が最も心血を注がれ、最も悩まれ、最もご苦労されたのは、この「不可説」の絶対の世界をどう伝えればよかろうか、のご執筆のご苦労でした。
『教行信証』を臨終まで推敲を重ね、加筆修正を続けられた筆の跡を拝見すると「これでよい」とはもう思われず、果てしなく悩まれ、「どうしたら」「どうしたら」と挑戦し続けられた聖人の戦いの跡と拝さずにおれません。
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