どんな人にも生きる意味があると説かれた親鸞の教えとは

仏教の『妄語(うそ)』とはどんな意味か、なぜ十悪の一つに数えられるか

2020/04/13
 
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菊谷隆太
こんにちは、菊谷隆太です。 東京、大阪、名古屋を中心に仏教講座を主催する仏教講師です。 専門は浄土真宗で、「教行信証」「歎異抄」を学び、皆さんにもお伝えしています。 このサイトは「どんな人にでも生きる意味がある」と宣言された親鸞という方の教えを知っていただきたいと思い、開設いたしました。

お釈迦様は、私たちが犯す罪悪を十に分けて『十悪』を説かれています。
その十悪の一つに数えられるのが『妄語』、ウソをつくことです。
釈尊は『心口各異 言念無実』“心と口はおのおの異なる、言っていることにも思っていることにも真実がない”と我々人間の実相を喝破されました。
お釈迦様の言われるとおり、私たちは朝から晩まで、ウソで固めて生活をしているのかもしれません。
その事例を紹介し、また妄語の恐ろしさを何回かのシリーズでお話していきたく思います。

 

妄語(うそ)をつくときは役者よりも上手

 

突然町を歩いているときにテレビ局の人に呼び止められて「今からロミオとジュリエットのバルコニーの場面をあなたがロミオになりきって、このセリフを読んでください」とお願いされても、役者でもない限り、照れ笑いで「とてもとても」と断りますし、もしどうしても、となって演技したものの、学芸会の棒読みでとても見れたものではありません。
ところがそんな我々も実生活では心にもないことをしっかり演技できているようです。

 

「ウソくらべ 死にたがる婆 とめる嫁」と昔の川柳にあります。
姑は嫁の態度が鼻について仕方ない。
年配の人への礼儀、気遣いというものがまったくない。
さればとて「少しはこちらに気を遣え!」とも大人気なくて言えないので、「あ~、わしはもう死にたくなった」と嫌味を言う。
もちろん本心はサラサラ死ぬ気はない。
嫁も嫁でしたたかだ。
「いつまで生きているつもりだ。いい加減に死んでくれんか……」と心では思っておりながら、孝行嫁を演じてみせる。
「何を言われるんですか。お母さんはこの家の柱です。いつまでも元気でいてくださらないと私たち、困ります」
よく見られるためには平然とウソを言い、言葉を飾り、善人をよそおいます。
役者より上手に顔も声も神妙です。
「ウソ比べ 死にたがる婆 止める嫁」
嫁も姑もお互いが心にもないうそをつき、だまし合いをしています。

 

妄語(うそ)が常識になってしまっている

 

日本人はウソをつく、と外国人はよく言います。
どんなウソ、と聞くと「会う気もないのに、また今度、という」「日本語お上手ですね」「態度では怒っているのに、言葉では、怒っていない、という」「メロンが入っていないのにメロンパンという」など…。
ではアメリカ人は正直で、ウソをつかない人種なのか、というと、そうでもない研究結果があります。
アメリカの心理学者が、学生にレコーダーをもたせて、1日に何回嘘を着くか調べたそうです。
お世辞など含めると何と、平均200回以上、嘘をついていたそうです。
ウソをつかずして、生きられない世の中に私たちは住まいしています。

 

手紙の書き出しは【拝啓】ですね。
「拝んで申し上げます」という意味ですが、あくび半分で、テレビ見ながら書いていても【拝啓】と始めます。
その次の書き出しは【皆々様におかれましてはその後お変わりありませんでしょうか。日夜案じております。】
案じたことなど一度もなくても「日夜案じております」と書き出します。
「こう書くのが常識なのだよ」
「こういうのわきまえないと、やっていけないよ」
誰もウソついている心の痛みなどない。
正直に言ったら、たちまち礼儀知らずの無礼者です。

 

だいたいウソをつかなかったら商売もできない
「屏風と商売人にまっすぐなものは立たない」
観光客目当ての、外国の市場に行くと、原価は1000円でも10000円で売っています。
客が5000円に負けてくれ、と言うと「とんでもない、儲けがなくなってしまう、赤字だ」とオーバーに嘆いてみせる。
「でも今、5000円しかもっていないから」と言って帰ろうとすると、手をつかんでひきとめて「わかりましたよ、では6000円でどうですか」
こういうの身につけていないと、商売もできない。

 

ウソが充満している世の中ですが、それがどうした、と開き直っています。
ちょうど臭いトイレに長くいると、鼻が馬鹿になって臭いと感じなくなってしまうようなものです。
私の隣町の公園には不衛生極まりない、臭い公衆トイレがありまして、あそこではとても中で呼吸できない状態ですが、もしあのトイレで一泊しろ、といわれたらどうなるでしょう。
やがてはくさいという感覚なくなって、中でご飯食べたり、口あけて寝たりできるようになってしまうことでしょう。
ちょうどそのようにあまりにウソばかりがまかり通っている世の中に私たちは住まいしていますから、心と裏腹のうそをついているのが醜いことだ、という感覚が麻痺してしまって「こうしなければ生きていけないよ」「常識だから」「礼儀だから」とのさばり歩いています。

 

妄語(ウソ)をつくと、どんな目に遭うか

 

信用、信頼の「信」という字は「イ」(ニンベン)に「言」と書きます。
心は見えませんから、言葉を交わしてお互いの心を分かり合おうとしてきたのが、原始の時代からの、人間の営みでした。
言葉で心を伝え、お互い支え合って生きてきたのです。
その言葉にウソがあればどうなるでしょう。
信頼される人にはなれません。
信用できなくなります。

 

アメリカの元大統領のクリントンが不倫疑惑で糾弾された際に、ピノキオのように長い鼻を持ったクリントンの顔のイラストがよく出回りました。
クリントンの鼻が秒刻みに長くなる時計も売っていました。
ところがウソをついていたことを謝罪したところ、クリントンを責める声は沈静化し、評価が上がりました。
これはうそに対するアメリカ国民への影響は表した一件でした。
アメリカ国民は「不倫」という言動よりも、それを認めない「不誠実」を問題にしたのでした。

 

付き合っていた恋人からウソをつかれて「冷めた」という話はよく聞きます。
一回ウソをつくと、相手は「今度もウソなのではないか」と疑心暗鬼になります。
ウソをついていたときの、そのときの表情、そのときのセリフ、声のトーンまで、忘れたくても残るものです。

 

ウソをつくと信用を失います。
たとえ誠実な人だ、という信用を築いても、その99%の正直は1回のウソで崩れさってしまいます。
「妄語」は身を破滅させる、恐ろしいものなのです。

 

ウソにも内容によって程度の差はある

 

ウソにも性質(たち)の悪いウソと、かわいいウソと、容認できるウソと、有難いウソがあるようです。
末期ガンに侵され、余命いくばくもないと宣告されたお父さんに、娘が一生懸命気丈に振舞い、「今年の冬には退院できるって。治ったらまた来年、家族で旅行しようよ」と言う。
少しでもお父さんの心を暗くさせたくない、という娘の気遣いから発せられるウソです。

 

かわいいウソもあります。
彼女をかわいいと思った瞬間にランキングされていたのに「今度のデートの予定の話したときに『確認する』なんて言って、予定が真っ白な手帳を見てる」というのがありました。

 

容認できるウソというのもあります。
忘れているのかもしれないなぁ、と気になって、「確認だけど、この仕事、今日中だよね。」というと本人、「あっ、忘れてた」という表情を一瞬見せますが、「うん、今やろうと思っていたところだよ」と何食わぬ顔で切り抜けようとする、そんな場面があります。
そんなときに「ウソつけ、忘れていただろう、忘れていた証拠におまえは・・」と、どこどこまでも問い詰めようとする人があります。
こんな場合は「ごめんなさい」と言わせるまで追求しなきゃならんというものではないでしょう。
人間関係を悪くさせたくないし、そんなミスはお互い様だから、受け流せばいでしょう。

 

許してはならないウソもあります。
偽装建築で耐震構造の許可を得ていない建物を造っていたとか、やらせ番組で偽の情報を報道していたとか、キャッチセールスで二束三文の絵画を有名画家の作品といって売りつけたり、そのウソがどれだけの人を苦しませることになるかを考えれば、そういうのは看過できません。

 

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