どんな人にも生きる意味があると説かれた親鸞の教えとは

無常観が身に染みる時

 
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菊谷隆太
こんにちは、菊谷隆太です。 東京、大阪、名古屋を中心に仏教講座を主催する仏教講師です。 専門は浄土真宗で、「教行信証」「歎異抄」を学び、皆さんにもお伝えしています。 このサイトは「どんな人にでも生きる意味がある」と宣言された親鸞という方の教えを知っていただきたいと思い、開設いたしました。

仏教に『諸行無常』という言葉があります。
『諸行』とは「すべてのもの」。
『無常』とは「常が無い」「続かない」こと。
すべてのものは移ろい変わる、これだけは変わらないというものは世の中にない、という真理を、仏教では漢字4字で『諸行無常』というのです。
今回は数々の無常の実態を通して語ります。

 

「夏草や 兵どもが 夢の跡」無常観

 

日露戦争における日本の勝利は、世界が驚嘆した「大番狂わせ」「ジャイアントキリング」でした。
戦勝を知った日本国民の狂騒ぶりは、W杯勝利の渋谷のスクランブル交差点のニッポンコールのようなかわいいものではなく、戦勝の号外が出るやその夜、東京では10万人以上の大々的な提灯(ちょうちん)行列となり、夜が昼に一変する大騒ぎとなり、その熱狂の混乱で、20人の死者までもが出ています。

 

その日露戦争勝利までの推移を小説にしたのが、司馬遼太郎の『坂の上の雲』です。
あの長編歴史小説のクライマックスは、連合艦隊とバルチック艦隊の激突、日本海海戦です。
「皇国ノ興廃コノ一戦ニアリ、各員一層奮励努力セヨ」
決戦を前に、総司令官東郷平八郎はこう各艦に打電しました。
『坂の上の雲』では、これを聞いた兵士の気持ちをこう記してます。
「伝声管の声はカン高く、しかも文語であるため意味はよくわからなかったが、この海戦に負ければ日本は滅びるのだというぐあいに理解し、わけもなく涙が流れた」

 

今日も日露戦争は、日本人が欧米列強に対して起こした奇跡としてたびたび語られますが、司馬遼太郎の視点は、日本の誇りを謳い上げたものでもなければ、英雄たちの武勇伝でもない、あの作品の底に流れるのは、仏教の教えに相通じる『無常観』だと私は感じます。

 

それが色濃く出ているのは『坂の上の雲』最終巻のあとがきに司馬遼太郎の文章です。
そこで司馬氏は、日露戦争後、日本の国民と国家が勝利を絶対化し、神国日本は負けないと慢心し、太平洋戦争に突入していく過程を述べた上で「敗戦が国民に理性を与え、勝利が国民を狂気にするとすれば、長い民族の歴史からみれば、戦争の勝敗などというものは、誠に不思議なものである」と綴ってます。

 

屈辱や敗北も、いつの日か「あれがあったればこそ」と喜びに転じることもあれば、成功や栄光も、いつしか「あれは何だったんだろう」と失意に変じてしまうこともある。
勝った負けたと狂騒したのも「夏草や 兵どもが 夢の跡」ではないか、と語りかけてくる、印象的な締めくくりでした。

 

無常観は無情に通ず

 

友人と二人、駐車場脇の花壇に咲くあじさいの前を通ったときのこと。
ついこないだまできれいに咲き誇っていたあじさいの花が夏の日差しでか、さび色に朽ち果てているのを見て「無常だよな」と私がぼそっと言ったところ、横にいる彼は、私が「無情だよな」と言ったと誤解したことがありました。
連日の猛暑でぐったりしたあじさいを私が「かわいそうだ」「哀れだ」という意味で、「無情」という言葉を使ったと思ったそうです。

 

その後の会話のやりとりで「無常」を「無情」と受け止めていたのが分かったのですが、読み方が一緒なのと、一般的には「無常」より「無情」をよく使うので、確かに誤解しやすいですね。
ただ意味自体を考えれば、あながちに間違いともいえません。
確かに「無常」は「無情」だからです。

 

かつてはその業界で「○○にその人あり」と権勢を誇った人が、脳梗塞や難病で体が思うように動かず、病床で呻吟する姿に「無常」を見せつけられますが、まさにその姿は「無情」でもあります。
20代の看護師におむつの交換をしてもらい、介助なしでは食事も取れない有り様に「あれがあの辣腕でならした△△さんか」と、見舞いに訪れたかつての部下も言葉を失うそうです。

 

十何年ぶりにテレビで懐かしの女優を見かけたりすると「老けたなぁ」と驚くことがあります。
無常の世ですから老いるのは当然とはいえ、それが美しい人だとなおさら、その「無常」は「無情」、残酷なものです。

 

高齢化が進む日本で深刻化しているのは、介護問題です。
私の知り合いにもご本人も65歳以上なのに、さらに高齢の親を介護している方があります。
これを「老老介護」というそうですが、さらに深刻なのは「認認介護」です。
「認認介護」とは、認知症の夫を、同じく認知症が進んできた妻が介護することです。
今日、在宅介護の世帯の約10パーセントが「認認介護」状態だといわれ、その割合は増加する一方です。
無常の世の中、やがて我が身にも訪れる現実とはいえ、痛々しいばかりで、あまりに「無情」です。

 

病院でも無常の嵐が吹き荒れています。
末期医療を施す病棟では、入院して一ヶ月足らずでベッドが空き、また次の人、次の人と入れ替わり、恒例の事務処理手続きのように、医師も看護士も慣れていくそうで、その姿にも「無情」を感じます。

 

無常の風の吹きすさぶ、無情の世にあって、真に変わらない幸せはないか、人は心の底で渇望しています。

 

人生の黄昏時に無常観を思う

 

育児日記には「できるようになったこと」チェックシートがあります。
「首がすわった」「寝返りができた」「歯が生えた」「お座りができた」「初めて離乳食を食べた」「バイバイができた」など、初めてできた日にちを記入できるスペースがあり、これを埋めていくことにパパとママは喜びを感じるそうです。

 

こうして毎週、目に見えて成長していく子供の将来は、前途明るく楽しみですが、その対極にあるのが、高齢者です。
高齢者はどんどんできないことが増えていきます。
育児日記ならぬ、老人日記があれば、そこには「できないようになったこと」チェックシートがあり、「歯が抜ける」「免許証を返す」「人の名前を思い出せなくなる」「立てなくなる」「固形食がのみこめなくなる」など、だんだんチェック事項を埋めていくことになります。

 

育児成長日記は書き込んでいくのも楽しみで、売れていくでしょうが、高齢者衰退日記の方は書き込みたくもないし、見たくもない、制作しても売れないのではないかと思いますが、これも、人生の黄昏時、人生の下り坂、といわれる、私たちの確実な行く先には違いありません。

 

どんどん老いていき、やがて死ぬ、この無常の人生に何の意味があるのか、そこをごまかさず直視し、老と病と死を超えた本当の幸福を求めて、シッダルタ太子が出家されたのは、29歳の時でした。

 

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