親鸞聖人はなぜ肉食妻帯(肉を食べ、結婚する)を断行されたのか

今日「親鸞聖人とはどんな方ですか」と尋ねれば、「肉食妻帯した最初のお坊さんでしょ」との答えが多く返ってくるように、親鸞聖人の肉食妻帯(にくじきさいたい)はよく知られています。
「肉食妻帯」とは、肉を食べ、妻を持つことです。
親鸞聖人の肉食妻帯は、当時仏教界のみならず世間中からも、大変な非難の嵐を巻き起こしました。
僧侶が結婚し、肉を食べるなど、当時は考えられないことだったからです。
なぜ親鸞聖人は四方八方からの非難を覚悟されてまで、肉食妻帯を断行されたのでしょうか。
今回は、親鸞聖人の肉食妻帯の理由をお話しします。
非常に根底にある思想がなければできなかった親鸞聖人の肉食妻帯
親鸞聖人が公然と肉食妻帯を断行されるや「僧侶が肉を食べる?妻を持つ?そんな馬鹿な」と、仏教界のみならず、世間中からも大問題となり、四方八方から非難中傷の嵐が巻き起こりました。
現代人の価値観からすれば、「僧侶が肉を食べ結婚しても、何がそんなに問題なんだ?どこの寺の坊主も結婚しとるぞ」と思われるでしょうが、それは今日の日本だから言えることです。
当時は僧侶が結婚することなど、考えられないことでした。
それは当時の日本の仏教が、すべて聖道仏教だったからです。
聖道仏教とは、煩悩を抑えて修行して、悟りを得ようとする教えです。
比叡山を本山とする天台宗、高野山を本山とする真言宗、興福寺を本山とする法相宗などがよく知られています。
これら聖道仏教の寺院は、長らく女人禁制の地とされ、固く女性の出入りを禁じていました。
僧侶の生活する場に女性が立ち入ることさえ禁じられていたのですから、ましてや結婚など論外だったのです。
このような当時の時代背景がわからないと、親鸞聖人の肉食妻帯の断行が、なぜ聖道自力の仏教の者達の逆鱗に触れたのか、よくわかられないかもしれません。
今日の天台宗や真言宗の僧はみな肉食妻帯していますし、比叡山の根本中堂も男女の差別なく観光できますから、今日の感覚では、親鸞聖人の肉食妻帯を非難する者の方がおかしいように感じられるかも知れませんが、当時は僧侶の肉食妻帯は、大変な非常識だったのです。
比叡山や興福寺は絶大な武力、権力、財力を有しており、それら一大勢力が一斉に親鸞聖人を目の敵にしたのですから、公家や貴族、一般大衆をも巻き込んでの大変な騒ぎとなりました。
「破戒坊主」「堕落坊主」「色坊主」「仏教を破壊する悪魔」「仏敵」と、聞くに堪えない悪口雑言が親鸞聖人に浴びせられました。
その時代、僧侶が公然と結婚すれば、どれほどひどい嘲笑、罵倒、非難が巻き起こるか、20年間も天台宗の総本山、比叡の山で過ごされた親鸞聖人のこと、他の人以上に重々分っておられることでした。
すべて覚悟の上での決行だったのです。
今日では親鸞聖人の妻帯の理由を「結婚したくて仕方なかったから」とか、「自分の欲望を正直に実行されたのだ」などと論じる人もあれば、当時と同様「戒律が辛くて、修行を投げ出したのだ」と非難する者もあります。
しかしそれらの理由は、親鸞聖人にはあたりません。
なぜなら親鸞聖人は「公然」と肉食妻帯されたからです。
もし聖人が結婚したくて戒律を破られたというのなら、公然と結婚される必要はなく、秘密裏にされたらよかったのです。
聖人以前の僧侶や同時代の僧侶にも、密かに隠し妻をもっていた者は珍しくなく、「かくすは上人、せぬは仏」という言葉が流行していました。
こそこそと隠れて妻を持っているのが「上人」、していないのが「仏」と揶揄される有様だったのです。
酒のことを「般若湯」、女性のことを「花」という隠語で読んでいた事実もあるように、こそこそと肉食妻帯する僧がいるのは、暗黙の事実でした。
もし親鸞聖人が結婚したくて仕方なかったのならば、右にならえで、秘密裏のうちに妻帯されてもよかったはずです。
しかし親鸞聖人はそうされなかった。公然と結婚されたのです。
親鸞聖人が隠れ妻を持っていた僧侶と決定的に違うのは実にここにあります。
親鸞聖人は「公然と」妻帯なされているのです。
八方総攻撃を覚悟され、公の場で結婚を宣言されたのは、何かそこに世の中に示す確固たる意図が、親鸞聖人にはあったからに違いありません。
明治の文豪、夏目漱石は、肉食妻帯で世の非難を一身に受けられた親鸞聖人の言動に、こう驚いています。
「親鸞聖人に初めから非常な思想が有り、非常な力が有り、非常な強い根底の有る思想を持たなければ、あれ程の大改革は出来ない」
では漱石の感嘆した親鸞聖人の、「非常な強い根底の有る思想」とは、いったい何だったのでしょうか。
なぜ、激しい非難を覚悟してまで、公然と結婚されたのでしょうか。
親鸞聖人が肉食妻帯に踏み切られた理由とは
仏教が日本に伝来して長らくの間、「殺生罪」を犯す輩として蔑視されてきたのが、山で獣や鳥を狩る猟師や、海で漁をする漁師たちでした。
猟師・漁師は寺の坊主から「殺生の限りを尽くしている悪人だから、仏の救いに遇えない」と蔑まれ、冷ややかな視線を投げつけられ、猟師・漁師もそんな僧の態度にひがみと苛立ちを募らせ「どうせ殺生の限りを尽くしているオレたちなんかに、仏教は縁のない教えだ」と仏教嫌いを自認する人が多かったのです。
その一方で猟師・漁師たちは心のどこかで、動物を殺すことを「殺生罪」と説く釈迦の教えに、自分でも見ないようにごまかしてきた己の罪深さを、ずばり仏に言い当てられた気がした人も少なからずあったでしょう。
「獣や鳥も、俺たちと同じように、親子・夫婦が支え合って一生懸命生きている。
死にたくないのも人間と一緒だ。
舟に上げられた魚がピチピチはねるのも、首を抑えつけられた山鳥がばたばたもがくのも、矢が刺さって走れなくなったウサギがなおも必死に逃げようとするのも、死にたくないからだ。
その獣や鳥を刃物で止めを入れる時の、彼らの怯えた目。
断末魔の鳴き声。
動物の最後の時に見せる目や鳴き声がまぶたに浮かぶ。
もし殺されていく動物たちが人間の言葉をしゃべれたら“嫌だ、死にたくない、助けてくれ”と懇願しているに違いない。
あれはそういう鳴き声だ。
“何で一方的にこんな目に遭わなければならないのか”
“何て人間は残酷なんだ”
と理不尽さに怒りと悔しさをぶつけるだろう、彼らはそういう目をして死んでいく。
そんな動物たちの必死な思いをいつも無視して、問答無用で手にかけて殺し続けているオレが、仏の救いに遇えないというのなら、それも当然かもしれない」
生きるためと言い訳しながら、恐ろしい振舞を日々重ねる自己の姿に、どこか後ろめたさを抱える猟師・漁師たちは「どうせおれなんか救われるはずない」と、人生に自暴自棄で投げやりでした。
そんな彼らにとって嫌で仕方ないものが、頭を丸め、袈裟を着て、香を焚き、清廉潔白の風体で、厳かに振る舞う僧侶の姿でした。
日々、その手を動物の血で濡らし、魚獣の匂いが染みついた漁師・猟師とは全く違い、功徳を積んでいる自分は浄土へ生まれられると信じて疑わぬ澄ました態度が鼻につくのでした。
きらびやかな袈裟に身を包む坊主らの説く仏教は「極楽浄土へ往けるのは戒律を守る者、寺に財物を寄進する者」という教えであり、それは彼ら猟師たちには「お前たちなど、最初から切り捨てられている存在だ」とあてつけられているとしか思えないものでした。
そんな中、「それは決して真実の仏法ではない」と宣言されたのが、親鸞聖人だったのです。
僧侶も、在家の人も、老いも若きも、男も女も、善人も悪人も差別なく、全ての人が救われるのが、阿弥陀仏の本願であることを、親鸞聖人は徹底して説き明かされました。
阿弥陀仏の救済の相手は「すべての人」、本当に助けてやりたい仏のお目当ては「殺生せずしては生きられぬ、どうにもならぬ悪人だ」と説かれたのです。
ここに万人救済の大道がひらかれました。
人からさげずまれ、仏の教えにも見捨てられているとひがみ、冷め切っていた猟師・漁師達の孤独な魂は、親鸞聖人のご説法に、どんなにこそ勇気づけられ、励まされたことでしょう。
今日でも仏教の名のもとで、庶民とは隔絶された環境で、肉も食べず結婚もせず、髪をそって修行に励む生き方が、仏道だと信じ、他人にも勧めている状態です。
それが本当の仏教なら、家庭を持ち、様々なしがらみを背負い、生きるために殺生もする一般庶民にとっては、縁のない教えになってしまいます。
それでは一般大衆は、お前たちは仏に見捨てられた存在、と突き放されたようなものです。
「どうせ私なんか」と卑屈になり、「生きる意味もない」と投げやりになるしかなかったでしょう。
そこに親鸞聖人が現れられて、苦しんでいる人こそ、放ってはおけないのが仏の慈悲である。そんな者こそ救われるのが本当の仏教である、と真実の仏教、阿弥陀仏の本願を明らかにして下されたのです。
そして自身も結婚され、子供も育てられ、肉を食べ、大衆の中に飛び込んで、われわれ庶民と同じ目線で仏法を説かれたのでした。
聖人の肉食妻帯は「すべての人がありのままの姿で救われるのが、真実の仏法であることを分かって欲しい。少しでも、そのご縁になるのなら」のお気持からの決行だったのです。
聖人がこのように、身をもって伝えてくださらなければ、万人が救われる真実の仏法の厳存を、私たちはもう知ることはできなかったことでしょう。
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