どんな人にも生きる意味があると説かれた親鸞の教えとは

釈迦の誕生偈「三界皆苦 吾当安此」の意味とは

2019/02/26
 
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菊谷隆太
こんにちは、菊谷隆太です。 東京、大阪、名古屋を中心に仏教講座を主催する仏教講師です。 専門は浄土真宗で、「教行信証」「歎異抄」を学び、皆さんにもお伝えしています。 このサイトは「どんな人にでも生きる意味がある」と宣言された親鸞という方の教えを知っていただきたいと思い、開設いたしました。

 

お釈迦さまは誕生偈「天上天下 唯我独尊 三界皆苦 吾当安此」と宣言されています。

「天上天下 唯我独尊」
民族、人種、国境など関係なく、万人に共通する人間に生まれてきた尊い目的がある

釈迦はこう説かれた後に、「ではその尊い目的とは何か」の問いにはっきり答えられたのが、この後に続く「三界皆苦 吾当安此」の言葉です。
「三界皆苦 吾当安此」とはどんな意味なのか、お話しします。

 

三界皆苦とは

 

『三界』とは「三つの世界」ということです。
今日、私達が日常で使う『世界』という言葉も、もともと仏教の言葉ですが、世界とは、空間的な意味だけではありません。
今日でも、芸能界とか、実業界とか、言われますように、この三界も、迷いの世界を三つに分類されているものです。

○欲界 ○色界 ○無色界

【欲界】とは、五欲のみで生きている世界。
【色界】とは、芸術の世界。
【無色界】とは、哲学や思想の世界。

 

欲界とは五欲のみの世界、
五欲とは、
食欲・・食べたい飲みたい
財欲・・お金ほしい、服、車ほしい
色欲・・男女間の欲
名誉欲・・ほめられたい、嫌われたくない
睡眠欲・・眠たい、楽したい

省みれば、この五欲に振り回されて、東奔西走しているのが私達の日常です。
欲界の衆生がほとんど、といえましょう。

 

次の色界とは、芸術の世界です。
時に私たちは、芸術に喜びを見出すこともあります。

音楽に胸打ち震える感動を覚えたり、寝食を忘れて絵を描くことに没頭したり。
その喜びはバイキング食べ放題とか、貯金通帳の増えていく残高などの楽しみよりも高尚な感じがいたします。
ゴッホの絵は、今でこそ億単位の値段ですが、ゴッホ生前中は全然売れなかったようで、絵とフランスパンを交換していたそうです。
それでも意に介せず、ひたすら筆を手に、自分の情熱をキャンパスにぶつけている姿を知ると、確かに食べ放題より高尚な境地にいるように感じます。

 

無色界の衆生、哲学や思想の世界にしあわせを感じる人もあります。
哲学者であり、数学者であるパスカルは、頭痛の時は、数学に没頭して治した、というのですから、数学の勉強をすると頭痛がしてきた私とはできが違うと思えます。
このように学問の探求を喜びに感じるような人もあるでしょう。
これもごろごろする楽しみとか異性にもてる喜びといった俗物の快楽と違って、より高尚で、人間的に上のように感じます。

 

しかしお釈迦様はそれら三界総じて『三界皆苦(皆、苦しみの世界である)』と説かれ、そこに本当の幸せはない、と喝破されています。
私たちは「欲界は刹那的な楽しみだが、色界なら、無色界ならその喜びは永続するのではないか」とあこがれますが、お釈迦さまは『三界皆苦』と一刀両断されたのです。

 

“吾(釈尊)当に此に安んずべし”

ここにある「吾」はお釈迦様ご自身のことです。
唯我独尊の「我」は「われわれ人間」ということですから、同じ「われ」でも、お経では使い分けされているのがわかります。

釈尊は、王族の太子として生を受けられながら、安きことなき三界にあって本当の幸せを探求し、出家されました。
その釈尊が35歳12月8日無上覚を成就なされ『安らかな楽しい世界がある』と宣言されたのが【吾当安此】です。

 

三界のまっただ中で、吾当安此、本当の幸せになれる

 

『三界皆苦』(人生は苦なり)
もしこれだけが人生なら、人は苦しむために生まれてきたことになる、苦しむために生きている、ことになってしまいます。
お釈迦様は、そんなはずはないのだよ、と『吾当安此』“吾(われ)当(まさ)に此(ここ)に安んずべし”と宣言されています。
「私はこの苦しみの人生にあって本当の幸せを得た。人間に生まれてきたのはこの身になるためだった」と人生の目的を示されています。

 

“此(ここ)に安んず”と自らのことを言われただけでなく、“此(ここ)を安んずべし”
苦悩多き人生にあって本当の幸せあることを伝えるぞ、と自らの決意を語られたお言葉でもあります。
ここでポイントは“此(ここ)を”と仰言っているところです。
この世はどうにもなれない、死んだら極楽、死んだら仏、という話ではない。
今、ここで、本当の幸せになれるんだ、と釈迦は言い切られているのです。

 

最近流行のスピリチュアルなどでよく聞くのは、この世は修行の場だ、という類の話です。
たとえば、嫌いな夫をうらんでいたのを「この夫と一緒に過ごすことは私の修行なんだ、私に何か大切なことを学ばせようとして私の人生に差し向けられた人なんだ。解決できない課題は与えられない。この人を通して自らの魂を磨けば、死後に高次元のステージの世界に行けるんだ」
というもの。なにか励まされたような気持になるようです。

 

しかし少なくともそれは仏教ではありません。
仏教では、この世は修行、死んだら高いステージ、ではなく、今、この人生の真っただ中で本当の幸せになれる、という教えです。
あの世(極楽やユートピア)にて安んずべし、ではない。火宅のような人生の真っ只中に、「本当の幸せになれた」という時がある、という教えです。

 

どんな夫と同じ屋根の下にいても、たとえ刑務所の中であっても、末期ガンに体が蝕まれていても、心の闇一つ破れれば、その時、その場で、本当の安心、本当の満足を得ることができる、と説かれているのが『吾、当に此を安んずべし』です。
「人命は地球よりも重い」といわれる所以もここにあります。

 

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