信長・秀吉・家康の三英傑に見る仏教

大河ドラマでは戦国時代を扱うと視聴率が取れるので、2回に1回は戦国時代です。
そして毎年、配役で大きな関心を持たれるのが、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康役は誰か、ということです。
私は歴史好きですが、中でも生まれが愛知県豊田市であった因縁もあって、何かと愛知ゆかりの戦国の三英傑、信長と秀吉と家康は、子供の頃から関心が高いのです。
それで今回は信長、秀吉、家康を通して仏教の教えを語ってみたいと思います。
織田信長を通して仏教を語ってみる
「人間50年 下天の内を くらぶれば 夢幻の ごとくなり」
信長の好んだ舞「敦盛」の一節です。
信長に先んじること100年ほど、蓮如上人が『御文章』に
「人間の五十年をかんがえみるに、四王天といえる天の一日一夜にあいあたれり」
と書かれています。
仏教で説かれる天上界の一つ、四王天の一日一夜は、人間の50年にあたると説かれています。
蓮如上人の『御文章』も、舞『敦盛』の一節も、そのことを受けて言われたものです。
今でしたら平均寿命約80年で、人生設計も80年余りで考える人が多いですが、当時は人生50年といわれた時代、40歳を越えれば「翁(おきな)」といわれました。
桃太郎などの昔話に出てくるお爺さんお婆さんも、40歳くらいだったということです。
500年前なら、私も翁、SMAPのメンバーも翁です。
信長は、自分の一生を一日にたとえれば今は何時くらいか、と思い巡らし、戦国の世を駆け抜けたのかもしれません。
その名を全国に知らしめた桶狭間の戦いは昼の12時過ぎ、もう人生の半分は過ぎています。
安土城完成がすでに夜の8時頃。
宿敵武田を滅ぼしたのが夜11時過ぎ。
神速といわれた実行力で天下布武を目指した人でしたが、本人は「悲願を果たすのに時間が足りない」と、寸暇も惜しむ気持ちだったのかもしれません。
かのスティーブ・ジョブスも
「あなたの時間は限られている。だから他人の人生を生きたりして無駄に過ごしてはいけない」
と言っています。
「いつかやろう」「そのうちやろう」と諾々と日を送り、退屈と暇をもてあまして、どうでもいいことにうつつを抜かすのは、命の短さを自覚していないからといえましょう。
仏教にもこういう言葉があります。
『無常を観ずるは菩提心の一なり』
命のはかなさ、短さを知らされると、人は真面目に生きようとするのです。
豊臣秀吉の辞世の句を通して語る仏教
日本史上、希有の成功者といえる豊臣秀吉。
よく三英傑で誰を上司にしたいかというアンケートがありますが、信長に仕えたら過労死するかリストラされそうだし、家康は組織全体が重苦しくなりそうで緊張しそう。その点、秀吉は長所を褒めて引き立ててくれそうだし、職場全体を明るく元気にさせてくれそうな感じがして、私は三人の中なら、秀吉を上司に選びたいと思います。
ところがどんなに魅力的な人でも権力を持つと、いつしか変貌してしまうもので、自分を脅かす者への不安からか、周りを粛清するのは数々の歴史が証明してきました。
秀吉も例外ではなかったようです。
晩年は往年の磊落さは影を潜め、深い猜疑心に苛まれるようになりました。
世継ぎに恵まれなかった秀吉は、甥にあたる豊臣秀次を養子とし、将来家督を継がせようと関白にまでさせましたが、実子である秀頼が生まれるや、秀次とその親族郎党も含めて処刑します。
側近として活躍した千利休にも、切腹を命じています。
自分の欠点や汚点を知り、時には換言もしてきた黒田官兵衛や蜂須賀小六といった股肱の臣を煙たがるようになり、自分を信奉する若きイエスマンを重宝します。
家来と共に笑い、泣き、寝起きを共にした、情に熱いかつての秀吉の姿はそこにはありませんでした。
本能寺の変で、最も信頼する家臣に殺された主君信長の姿を知る彼は、誰も信頼できる人がいなかったのかもしれません。
また秀吉は、あれほどの人ですから、自分の死後の天下の動向、我が子秀頼の行く末に、暗たんたる未来を直感していたことでしょう。
秀吉の死後、家康が大坂に牙をむくことを、暗黙のうちに諸将が予感していたそれ以上に、秀吉にはそういう未来に進んでいく空気を、肌感覚で感じ取っていたかもしれません。
なぜなら信長が倒れた後、その息子達を殺し、屈服させた張本人が、秀吉本人だったのですから。
そんな我が子を殺すかもしれない者に、未来を託さなければならなかった胸の内はいかばかりだったでしょう。
その秀吉の辞世の句がこれです。
「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 難波のことも 夢のまた夢』
財や位階に釣られて、権謀術数で明け暮れる一生だった。
一刻一刻が血まみれなものだった。
その結果手に入れた豪邸も英名もすべて夢のまた夢。
一体何をしていたのか。
血の涙を流して後悔する秀吉の心の叫びのような歌です。
徳川家康を通して語る仏教
以下は「家康が最も恐れた男」の一覧です。
今川義元、織田信長、武田信玄、徳川信康、武田勝頼、豊臣秀吉、真田昌幸、前田利家、伊達政宗、豊臣秀頼、石田三成、小早川秀秋、直江兼続、島津義弘、島左近、福島正則、加藤清正、真田信繁、大久保長安、本多正信、ずらっと名前が挙がっており、コメントに「家康どれだけビビリやねん」とあり、笑ってしまいました。
挙がっている名前を見れば、幼少期から晩年まで「あいつさえいなければ」と彼を憂鬱にさせる者が、常に現れたことが窺えます。
その不安材料を何とか取り除こうと、戦に明け暮れ、謀略の限りを尽くし、気の休まることなき一生だったのでしょう。
それを家康は臨終に「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし」と遺しています。
しかし見方を変えれば、それだけ油断なく、最悪の事態をも想定し、早め早めに手を打って対処していったからこそ、天下人になれたともいえますし、その天下もすぐに足をすくわれるような事態にもならなくて済んだといえましょう。
「インテル」の創業者、アンディ・グローブの言葉に“Only the Paranoid Survive.”(パラノイドだけが生き残る)とあります。
“Paranoid”とは、不安神経症とも訳されます。
アメリカのビジネス界は、不安神経症の者しか生き残れない世界だ、と言っているのですが、世の中というのは、そういうものなのでしょう。
しかしよく考えてみれば、家康にしても、アンディ・グローブにしても、不安が好きだったわけではない。誰も重荷を負うて遠き道を行きたい人はありません。
不安神経症でビクビクして生きるのを望んでいないはずです。
私たちは幸せを求めて生きているのです。
重荷を背負って歩く人の願いは、「早く重荷を下ろしたい」これ一つでしょう。
一国一城の主になれば、大国になれば、天下統一すれば、不安の重荷を下ろせると目指したのに、家康は少しも、目指す重荷が下ろせませんでした。
家康が真に願っていたのは、天下統一でもなければ、幕府を開くことでもなかった。物心ついた時から晩年に至るまで、家康が望んだことは、ただ一つ、不安という人生の重荷を下ろしたかっただけです。
その願いを果たせなかった、家康の歎きが「重荷を負うて、遠き道を行くがごとし」です。
本当に重荷を下ろせる人生の目的地はどこなのか、
そこを決して間違えてはなりませんよと、お釈迦様は教えられています。
信長、秀吉、家康を通して仏教を語ってみた結論
群雄割拠の戦国の世、覇を競った武将の中でも、特に目立った三人の武将、信長、秀吉、家康を通して三回にわたって語ってきました。
彼ら三人の発想、才能、手腕、実力、根気など語れば、その卓越した姿にあらためて敬服するしかない、そんな人たちなのですが、こと仏教の観点から見ると、今まで語ってきたような面が見えてきます。
彼らの臨終に「生まれてきてよかった」の会心の笑みは感じられず、「夏草や つわものどもが 夢の跡」の、漠々たる寂寥があとに残ります。
一方、武門の虚しさを人生の道半ばで知らされ、仏門に入った先達も数多くあります。
坂東武者、熊谷次郎直実は、平家追討の一方の旗頭として活躍し、頼朝からも「日本一の剛の者」と評されたほどの人でしたが、平家を西国に追う馬首を一転、法然上人のお弟子となり、蓮生房と生まれ変わりました。
木曽義仲の参謀として名を馳せた覚明も、親鸞聖人のお弟子、西仏房と新生しています。
頼朝の直臣であった、佐々木三郎盛綱が親鸞聖人のお弟子となる際の心情が、吉川英治の小説に語られていますので、一部抜粋していみましょう。
武者の生涯ほど、一刻一刻が、真剣で血まみれなものはない。
五十余年は夢の間だった。
なんであんな血なまぐさい生涯を、獣のように働いてきたのか。
人を斬っておのれが生きる道としてきたか。
果たしてそれが、国家のため、民くさのためだったろうか
怖ろしい、浅ましい。
人は知らず、自分の腹の奥底を割ってみれば、そこには華やかな武者の道があって、ひたぶるに、君家のおんためという気持ちもあったが、何よりも自分を猛く雄々しくさせていたものは、領地や位階であった、出世の欲望だった。
領地が何か、位階が何か。あさましや、おれはこれで釣られて、一生を屠殺で送ってきた
三郎盛綱は、今まで何をしてきたのか、という空虚感と、こんな者が一息切れたらどうなるのか、の不安な心に驚いたのでしょう。
本当の幸福を求めて、親鸞聖人の元に馳せ参じています。
「大命まさに終わらんとして悔懼こもごも至る」(大無量寿経)
“臨終に、後悔と恐れが、代わる代わるおこってくる”
人間の臨終の心の相を教えられた釈迦のお言葉です。
名だたる戦国の武将も、例外ではなかったようです。
「難波のことも夢のまた夢」との秀吉の辞世の句からは「なぜ心の底から満足できる幸せを求めなかったのか」と後悔のため息が聞こえてくるようです。
財と権勢に囲まれた華やかさに心を奪われてしまい、終幕の人生にならないと気づかないことなのでしょう。
それを幸せなことに人生の道半ばで知らされ、仏縁を結んだ武将の尊さが知らされます。
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