どんな人にも生きる意味があると説かれた親鸞の教えとは

精進努力を仏教でどう教えられているか

2020/11/19
 
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菊谷隆太
こんにちは、菊谷隆太です。 東京、大阪、名古屋を中心に仏教講座を主催する仏教講師です。 専門は浄土真宗で、「教行信証」「歎異抄」を学び、皆さんにもお伝えしています。 このサイトは「どんな人にでも生きる意味がある」と宣言された親鸞という方の教えを知っていただきたいと思い、開設いたしました。

たくさんの善行の数々をお釈迦様が6つにまとめられたのを『六度万行』といいます。
その六つの善の一つが『精進』です。
『懈怠』に対する言葉で、今日の言葉で言えば「努力」のことです。
今回は日常生活における様々な『精進』の形を紹介いたします。

 

楽して得られるものは貧と恥のみ。成功は精進努力の結晶と説く仏教

 

アドレスをブログにさらしているせいか、ジャンクメールがたくさん届いて閉口しています。
・一日一時間パソコンで簡単な作業するだけで、簡単に稼げた
・あなたはケータイからメールを送るだけで毎月5万円もらえる国の認定する副業を知っていますか?
・「そんな簡単に復縁できるの?」信じられないかも知れませんが、あなたにあることを教えますので、実践してみてください。
こんなセリフから始まって、最後は何かの情報教材を何十万で売りつける、といった類のもの。
もちろん、ろくに儲かるはずのない情報です。

 

私はまいた種に応じた結果しかやってこないと確信しているので、楽して結果が得られる、という話を聞かされると、反射的に心を閉じます。ありえないからです。
だいたい本人の許可も得ていないのに、無礼にも勝手にメルマガ登録するという、そんな誠意のない商法で儲けようとしている輩が、そもそも成功するはずないし、人に教えられるはずがありません。
楽して得られるものは貧と恥のみ、と心得ています。

 

計らずして、楽して手に入ってしまった成果は、すぐに消えていきます。
まかぬ種は生えないので、ドカ儲けする人はドカ損します。
コツコツ頭と神経を使い、汗を流して身につけた精進努力で獲た財は、容易に無くなりません。
当たり前のことです。

 

見えないところを丁寧に精進努力せよと勧める仏教

 

昔、大工をされていた方から「養生(ようじょう)」という言葉を聞きました。
大工が建物を建てる前に道具を用意したり、刃を研いだり、柱に印つけたり、といった下準備のことを「養生」というそうです。
難しいところを工事する時は下準備がきわめて大事だから、下準備に3分の2使うのだそうです。
「プロは足場をしっかり作る」という言葉が心に残りました。
道具なら、これとこれが必要になる、としっかり前もって準備する。下準備できたら、あとはサッサッとできるのだとか。
これは何事にも通じる、プロとアマの違いの一つだなと感じました。

 

将棋でも、NHK名人戦を見ていると、「あれ、なぜ駒をそこに置くの?」と思うことありますが、局面がだんだん進んでくると「いやあ、さっきのあの駒が効いてるなあ」となるのに感動することがあります。

 

自分も仏教を人にお伝えする立場ですが、駆け出しのころは2時間の話しをするのに、原稿を暗記するくらいに推敲し、一日中準備して臨んだものですが、慣れてくると準備がぞんざいになってしまうことを反省させられます。
精進努力の自己研鑽を怠ることは出来ないと自戒していきます。

 

 

苦難にあって人は精進努力する

 

ドラッグにおぼれた芸能人は、留置場の独房に入れられて、そんなとき、ひとり何を考えるんでしょうね。
自分とて将来何がどうなって、同じような環境になるとも限りません。
そんな時の独房は、すごく神経が研ぎ澄まされるように感じるのが予想されます。

 

あなたも思い出してください。
何か大きな人生の試練にぶつかった時、どうすれば、この苦境を脱することができるかと、心がピリピリした感覚ってあったのではないでしょうか。

 

火事になると寝たきりの人が立ち上がるといわれます。
川を背に向けて陣を敷くと、その軍隊はものすごい力を発揮するといわれます。

 

金もあり、ほしいものも手に入り、緊張感のない、単調な日々に、つい手を出してしまった薬物。この経験が、そのままばれずに、精神的に逃げ回っているような隠蔽生活、偽装人生で年をとってゆくよりも、むしろ発覚して、挫折して、針のムシロのようにつらい環境に身をさらすほうが人間として成長することになるのじゃないのかな、と思います。
(つらい、死にたい日々だと思いますが、それでも、です)

 

「人体」でこんな話を聞きました。
人間の体は飢餓には強いが、過食には弱いようになっているそうです。
氷河時代を含む何十万年に及ぶ人類の歴史は、おおよそ飢餓との戦いの歴史でした。
食べすぎたときに、余ったエネルギーは、すべて皮下か内臓の脂肪になるよう人体はなっています。
そして、飢饉になれば、その蓄えられた脂肪を燃やしてエネルギーにしてきました。
いわば飢餓に対応するシステムが脂肪だったのです。
メタボどころか、脂肪は一つの財産だったわけです。
一方、飽食などということはありえなかったので、人間の体はそれに対応できるシステムを持っていませんでした。
【飢餓よりも過食に弱い】のが人間です。

 

同様に、人間は苦境には強く、ハングリー精神はときに、考えられない力を発揮します。
しかしぬるま湯の甘えた環境には、驚くほど弱いのです。
人間、金もあり、時間もあり、自分の思い通りにさせてくれるイエスマンばかりになってしまったらどうなってしまうだろう。
脆弱で、わがままで、すぐキレたり、なげだしたりする、そんな本性むき出しになり、時間も経たずに裸の王様に変貌していくことでしょう。

 

 

不遇なときこそ、己を磨き、精進努力する

 

最高級ワイン『ロマネコンティ』は、ボトル一本が安くても30万円以上、中には数100万円の値がつくこともざらにあります。
ワインバーでもグラス10万円というのですから、庶民には高嶺の花です。
一年間の生産平均本数は約6,000本程度と極めて稀少性が高いのが、高価で取引される理由ですが、ではなぜ生産本数が少ないかといいますと、 この『ロマネコンティ』、フランスのロマネ村に在る約1.8ヘクタールのブドウ畑から取れたブドウからでしか作らないからです。
この僅かな土地で作られるブドウが世界中のソムリエの舌をして“圧倒的な深みがある絶品”ワインを生み出し続けているのです。

 

さぞロマネ村の土地は滋養に富んだ肥沃な土地なんだろうと思いきや、じつはその反対で、特別にやせた土地なのだそうです。
そしてその痩せた土地にこそ『ロマネコンティ』の美味しさの秘密があったのです。
土地がやせているために、ブドウの木は栄養をとろうとして根っこを地中深くまで伸ばさなければなりません。
その根っこは何層もの地層を通り抜け、なんと何十メートルに達します。
この何層もの地層を通り抜けた根っこから、味や香りに結実する多くのニュアンスを取り出し、あの『ロマネコンティ』の味となるというのです。

 

「花の咲かない冬の日は、下へ下へと根を伸ばせ」という言葉を思い出します。
人生は決して平坦ではなく、思わぬ不幸や災難に見舞われたり、評価もされず恵まれることなく不遇な時期を過ごす、そんな時はあります。
そんな“花の咲かない冬の日”にこそ、このロマネ村のブドウの木のように根を深くはって精進努力していったならば、他の畑の木からは採れないような 、素晴らしい果実が実る、ということですね。

 

挫折を重ねるのが精進努力

 

友人が生まれて間もないあかちゃんを連れて遊びに来ました。
「えっ、こないだ生まれたばかりなのに、もう立ってる」「そして声上げて自己主張してる」
なんか成長の早さにびっくりしたのと、感動したのと。。

 

さて、その子は、スプーンで上手く食べられません。
・スプーンを口に持っていく前に、食べ物を落とす
・ 空っぽのスプ-ンをくわえる
・ 食べ物がない悲しさで、エ~ンと泣き出す
この繰り返しです。

 

「こちら、こちら」と懐に呼び寄せようとすると、すごくうれしそうな顔になって、きゃっきゃっと笑顔で立って歩こうとするのですが、すぐ転ぶ。またエ~ンと泣き出す。
それでも、そこから平衡感覚を発達させ、こぼす量が減り、転ぶ回数も、激減していくのだ、とか。

 

幼児は、本当にたくさんのミスを繰り返しますが“ミスが進化につながっている”という事実もまた、繰り返し証明してくれています。
一歳児の子供の精進努力に励まされました。

 

自ずと精進努力せずにおれなくなる道を説かれた仏教

 

精進(努力)を様々な切り口から話をしてきました。
最後に、精進(努力)をする際、最も大事なことは何か、についてお話しします。

 

武者小路実篤の小説に、馬鹿一という登場人物が出てきます。
本名は彦一という名前なんですが、みんなから馬鹿呼ばわりされて、ついたあだ名が「馬鹿一」。
馬鹿一は絵描きなんですが、河原で石を拾ってきては、石ばかり書いています。
石の魅力に取り付かれ、一心不乱に石ばかり書き続けるのです。
「絵はまあまあ上手いのだから、人物画を描いたり、風景画を描いたりすれば、少しは金になるのに。石ばかり書いているから貧乏するのじゃぞ」
周りのそんな忠告には一向に耳を貸さず、石ばかり書いています。
それでみんなから馬鹿一、馬鹿一と呼ばれるようになりました。

 

私は中学生のときにこの本を読んで、馬鹿一にある種のうらやましさを感じました。
一銭も儲からなくてもいい、周り中からけなされてもいい、自分はこれをやるんだ、というものを、見つけることのできる人って幸せだよな。
そんなものがあればいいよな、と切望しました。

 

おれにとっての「石」って何だろう??
そんなものを見つけたい、
それを見つけるために、あれもやろう、これもやろう、と飛び込んだものです。
今の自分の原点の一つにもなったのが、この「馬鹿一」の生き様でした。

 

人はみな一人一人「石」を持っています。
それを見出したとき、自ずと精進(努力)せずにおれなくなるのです。
ではあなたにとって「石」とは何でしょうか。

 

仏教ではその「石」をどう見つけるか、わかりやすく教えられています。
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