どんな人にも生きる意味があると説かれた親鸞の教えとは

生死の一大事とはどんな意味か、自分とどう関係するのか

 
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菊谷隆太
こんにちは、菊谷隆太です。 東京、大阪、名古屋を中心に仏教講座を主催する仏教講師です。 専門は浄土真宗で、「教行信証」「歎異抄」を学び、皆さんにもお伝えしています。 このサイトは「どんな人にでも生きる意味がある」と宣言された親鸞という方の教えを知っていただきたいと思い、開設いたしました。

 

仏教は「生死の一大事」に始まり、「生死の一大事の解決」で終わります。
生死の一大事とはなにか、がわからなければ、仏法は何十年聞いていても分るものではありません。
そこで今回は「生死の一大事」についてお話ししてまいります。

 

生死の一大事とは本当の自己を見つめるところから始まる

 

「生あるものは必ず死に帰す」
誰でも知っていることです。
死という壁にいつか必ずぶつかるということ。
私たちは死の壁に向かって目隠しして走っているようなものといえましょう。
ではその壁にぶつかった、その向こう側はどうなっているのでしょう。
【人間死んだらどうなるか】
あなたは考えられたことありますか。
オカルトでも話し出そうとしているのではありません。
冷やかしでもありません。
正真正銘、自分の将来に関わる大事な問題ではないでしょうか。

 

以下は友人が、お父さんを看取ったときに言っていた言葉です。

肉体はまだきれいにあるのに幾ら見つめていても全く動かない。動く気配もない。
これから先も二度と動くことはないと分かりました。
抜け殻同然でした。
しかし、ちょっと前まで動いて生きていました。
どんなに病状が悪化し、昏睡状態になっても抜け殻などと思わず、確かに父はそこにいました。
今生は【父】という仮の姿をしていましたが、【本当の父】は仮の姿を置いてどこへ行ってしまったのか。
肉体は動かなくなっても、父が消えたとは思えませんでした。
周りを見れば、皆動いていて、それを「生きている」といわれますが、その肉体を動かしているものは何であるか。
自分の肉体もまた仮の姿で、必ず尽きる時がやってきます。
それを「死ぬ」といわれますが、死ぬとそれまで肉体を動かしてきた〝本当の自分〟はどうなるのか。
そもそも〝本当の自分〟といわれる実体は何であるのか。
考えれば考えるほど分からず、奇妙な感覚に陥ります。

 

生まれて、生きて、死ぬのは、肉体の問題。
仏教で問題にされているのは肉体ではなく、過去・現在・未来を貫く【本当の自分】とは何か、です。

 

生死の一大事以上の一大事は人生にはない

 

毎年、年末になると、10大ニュースが発表されます。
「あなたの人生」に起きた10の大事件といえば、なんでしょう。
結婚、病気、出産、大災害、戦争、などいろいろ挙がりましょうが、なんといっても「誕生」と「死」、この二つの出来事ほど大きいことはなかったでしょう。

 

生まれてきたのがこの時代だった。
この国に、この両親の元に、こんな容姿で生まれた。
あらゆることが一返に決まった私の「誕生」という大事件。

 

そして「死ぬ」という、これから己の人生に起きる大事件。
今、現実だと思っているものを、一瞬にして本当にあったかどうかわからない、不確かなものに変えてしまう「死」という大事件。

 

あるガン患者が病名を告げられた時の様子を手記に書いていました。

世の中が真っ暗になり、全ての人生設計が破壊されてしまった。
深い谷底に突き落とされた感じ。
○○大学診察室は死刑の宣告場。
言葉に言い尽くせぬショックで自殺と死が頭の中を渦巻いた

 

宣告する医者にとっては、仕事の一環としてやっているごく日常のことなんでしょうが、告知された本人にとっては、存在が根底からひっくり返されるような、人生の大事件です。

 

地球で大問題とされている温暖化問題とか、経済恐慌とか、第三次世界大戦とか、どんな大ニュースも「己の死」を前にしては「小事」です。
己にとって真の一大事は「死」であると釈迦は説き明かされ、これを仏教では「生死の一大事」と名付けられています。

 

最後の最後にならなければ正体を現さない生死の一大事

 

ある女子高生が7階建てのマンションから飛び降りました。
いじめを苦にしての自殺決行でした。
遺書を残しましたが、そこにはよくあるような、いじめた級友への恨み言などはなく、ただ両親へのお詫びの言葉と「永眠したい」と書かれていたそうです。
彼女は死んだら永遠の眠りにつくものだと思っていたのでしょう。
一度眠ったら朝に目覚まし時計が鳴るまで意識がないように、死んだら意識が途切れて、そのまま二度と朝を迎えることなく無になる、そんな死のイメージを持っていたのでしょう。

 

ところがその彼女、飛び降りたときに即死ではなく、大木の枝葉にぶつかり、枝を折りながら落ちたのがクッション代わりになり、即死ではなかったのですが、首の骨が折れたのです。
すぐ救急病院に搬送する救急車に乗り込まされ懸命の治療が施されたのですが、治療むなしくその救急車の中で息を引き取っていきました。

 

その虫の息の彼女が救急車の中でうわごとのように言い続けたのが「痛い。痛い」「怖い。怖い」「死にたくない。死にたくない」という言葉だったのです。
「痛い。痛い」これはわかります。
指の骨が折れただけでもどんなにか痛いだろうに、首の骨が折れたのですから、耐え難い痛みでしょう。
しかし問題はあとの二つの言葉です。
「怖い。怖い」とはどうしてか。
死んでいかねばならないことを恐れおののいての言葉ですが、彼女はこの世に生きているより死んだほうがましだ、と自殺を選んだのでしょう?
どうして今になって「死ぬのが怖い」と感じるのでしょうか。
「死にたくない。死にたくない」
これもなぜでしょう。
彼女は死にたかったのではないのか?
首の骨が折れて「死ななければならない」といよいよ死が眼前に突きつけられて初めて「死んだらどうなるのだろう。死にたくない。怖い、怖い」と本心が叫び声をあげるのです。

 

【死んだらどうなるのか】
この圧倒的な不安、恐怖は、わが身が死に直面した、その時でないと正体を現しません。
ビルの屋上に立っているときは、まだ「死ぬ』ということが、どこか他人事です。
自分が死んだら、周りはどう思うかな、
クラスメイトは悔やむかな、家族は悲しむかな、
こう考えるのは、死が他人事だからです。

 

首の骨が折れ、自己の死を自覚して初めて「死んだらどうなるのか、私は一人ぼっちでどこに行くのか」と本当の死の恐怖を知るのです。
終幕の人生にならないと誰も気づかない落とし穴だから、チェーホフ(ロシアの小説家)は、代表作『六号病室』で「人生は、いまいましい罠」と表現したのでしょう。

 

突然襲いかかる生死の一大事

 

先日、都内の人はスマホに流れた震度7の速報に「これはいよいよ関東大震災か」と、さぞ驚いた方も多かったでしょう。
雷が原因の誤作動という発表でなんとも人騒がせなことでしたが、何はともあれ、誤作動でよかったです。
何年かに1回はある間違った地震速報ですが、オオカミ少年みたいに皆が慣れっこにならなければいいと思いますが。

 

さて、その報道で私が思い出したのが、もう五年前になる人間ドックの結果です。
再検査の通知が届きまして「肝臓に腫瘍の疑いあり」と所見にあったので「この若さでガンか?!」とにわかに緊張したのを覚えています。
再検査してみたところ、腹部レントゲンが脂肪を腫瘍と間違えた結果だと分かり、胸をなで下ろしました。

 

関東大震災級の大地震は200年に一度と言われますから、関東に住んでいても人生の中で経験せずに一生終わる人も多く、誤作動で緊急速報だけ経験するだけだった、ということもあるのですが、我が身に宣告される医師の診断の場合はそういうわけにはいきません。
今までは「異常なし」「レントゲンの間違い」だったのが、今回ばかりは「悪腫瘍です」「転移してます」「ステージ4です」とハッキリ言われてしまうときが来るのです。
たとえ医師の宣告はなくても、事故や事件に巻き込まれ、「今度ばかりは死ななければならない」と覚悟するときが必ずやってきます。

 

お釈迦様は、必ず噴火する山上で舞踏を興じているのが全人類の実態だと警鐘乱打されています。
これを「生死の一大事」と言われます。

 

すべての人の解決すべき宿題が生死の一大事の解決

 

『がんと向き合って』という本があります。
26歳で癌にかかって亡くなっていった青年の手記です。

がんの告知を受けたあと、病院内を歩き回って次々と血液や心電図などの検査を受けた。
いちいち「いま、冷静か」と自問していた。
それ自体、混乱している証拠だった。
夢の中をふらふらして さまよっているような気分だった。
自分の身に現実に起きていることとはとても思えない。
廊下のいすで名前を呼ばれるのを待つ人々は、みな疲れ切っているように見えた。
空気は重い。
自分とは無縁の空間のはずだ。
『おれが癌?26歳の自分が?おとといはサッカーで走り回っていたのに……』
診療前の待合室でアンケートを書かされたことを思い出した。
バインダーの上の用紙には『重大な病気だった場合、どうしてほしいですか』という質問項目があった。
“自分で受け止めないでどうするの”と思いながら、当然のように『本人に』という欄にマルをした。
軽いタッチのマルだった。

東京都府中市の実家にも電話を入れた。
“あさって手術する”と言うと母は一瞬絶句し“どういうこと”と鋭く言った。
衝撃をどうにか冷静に受け止めようとしている母の空気が伝わってきた。
母の日常をも大きく揺さぶっていることが申し訳なかった。
ただ、自分以外の人間と話したことで、現実に自分が手術を受けるのだという感覚になった。
同時に、手術後への不安もじわっとせりあがってきた。
“おれはどうなる……”
(中略)
“自由”を意識することも、その価値を考えることもなく過ごしていた。
“浪費”という言葉がぴったり合うような気がした。
健康や時間、季節についても、雑に扱っていたと悔いた。
そうした大切なものの大切さが、失うときに初めて分かるとは皮肉なものだ。
しかし、大切でないものを削って削って、最後に僕に残るものってなんだろう。
そんなことを思いながら、女子高生のにぎやかな声があふれる店のカウンターから、
暗くなっていく窓の外を眺めていた。

 

自分より若いのに、と思うと強烈な内容でした。
私の友人でも、21歳のときにガンになった人があります。
手術をして今は健康ですが、彼の体験は真に迫っています。
彼は父親をガンでなくしており、その看病を通して、ガンの闘病生活の如何に悲惨なのかをよく知っていました。

父親のように、果てしない苦しみと戦って、その挙句報われることなく死んでいくとしたら、これからの自分の人生に何の意味があるのか?自問自答しても答えは出ない。
自殺が甘美なものに思えた。
車で走っていても、ここでハンドルをひねったら楽に死ねるかな、とかそんなことばかりが頭によぎった。
じわじわと死に向かう恐怖にさいなまれるよりも、いっそのこと早く死んでしまいたい、と思った。

 

死に直面した時、人は【必ず死なねばならないのになぜ生きねばならないのか?】
人類最大の難問に煩悶するのでしょう。
そしてこの問いは私やあなた自身が晴らすべき、人生かけての宿題なのです。

 

がんが問題なのではなく、生死の一大事が問題

 

がん治療の現場では「通常医療ではダメだ」という人と、「代替療法はあてにならない」という人が、侃々諤々(かんかんがくがく)言い合っています。
代替療法を主張する人も、その方法となるとさまざまで、食事で、カウンセリングで、漢方で、気功で、温泉で、催眠で、と多くの主張に目移りします。
一口に食事療法といっても、キノコだ、水だ、果物だ、とまたいろいろあります。
そしてそれぞれのやり方が「がんが消えた!」を宣伝文句に「医師も認めた」「データで証明」「治った体験談」があり、そうかと思えば違うサイトでは「浅薄な屁理屈を並べたインチキ」「誇大広告だ」とも言われています。

 

本当にがんが消えるのなら、といくらでもお金を出す患者がいますから、がん医療ビジネスに乗り出す人は後を絶ちません。
食事でがんを治すとうたった本は、定番の売れ筋本です。
毎年、何かの治療法がブームになって、カリスマ扱いされる人がメディアに登場します。

 

さて、本当に効き目があるのはどんな治療法なのか、ここに患者は真剣に悩みます。
どの治療法を取るか、その取捨選択には自分の命がかかっているのですから、真剣になって当然です。
お金や時間を惜しむところではないでしょう。

 

しかしよく考えてみれば、たとえがんが治っても再発するかもしれません。
再発はしなくても、病気はがんだけではありません。
またいつどんな病気になるかわかりません。

 

さらにいえば、病気が治っても、死ななくなったのではありません。
いつかは必ず何かの病気か事故で死ぬのです。
がんは脅威ですが、がんに怯える人の、その真のおびえの原因は「独りぼっちで死んでいかねばならない」厳粛な事実であり、「死んだらどうなる のか」未来真っ暗闇の怖れだと釈迦は喝破しました。
人間の真の脅威は「死」だと見抜かれた釈迦はこれを「生死の一大事」「後生の一大事」と言われました。
この一大事の解決一つを目的にしているのが、仏教の教えなのです。

 

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