出家して修行する本当の意味とは

仏教に「出家」という言葉があります。
一般の生活を送っていた人が、剃髪(髪を剃る)し、法衣を着用し、寺に入ることを「出家する」と使いますが、仏教でいうところの出家とはどういうことか、正しい意味について今回お話しいたします。
なぜ出家して修行するのか
後継者をめぐっての兄弟同士の権力闘争は、歴史上、幾度となく繰り返されてきました。
一般家庭でも親の遺産をめぐって兄弟が諍いを起こす事態もありますが、これが一国の権力をめぐってともなると、利権も大きく、このたびのような残酷な事態になります。
このような悲劇をさけるための一つの手段として昔から権力者の間で用いられてきたのが「出家」という方法でした。
「私は世俗と離れた身、あなたの権力を脅かす心はございません」という自己表示をして、権力争いから身を引くことです。
しかしそのような狙いでの「出家」は、本来の目的とはほど遠いものといえましょう。
本来の「出家」とは、世俗を離れ、戒律を守る僧侶となることです。
不飲酒戒(酒を飲まない)、不殺生戒(肉を食べない)、不邪淫戒(結婚しない)などの仏教の戒律を守るのが、出家の僧ですから「出家」とは、相当の覚悟が要ります。
そのような戒律を守り、厳しい修行をする目的は「煩悩を克服して、さとりを得る」ことにあります。
欲や怒り、恨み妬みといった煩悩によって、私たちは日々、苦しみ、悩み、罪を造り、その報いを受けて苦しんでいますから、その迷いの輪を断ち、さとりを得るための修行でした。
出家の者が異性のいないところで生活するのは、異性がいると、愛欲が生じ、執着も増すからです。結婚し、子供も生まれれば、余計そうなります。
嫉妬や競争心や虚栄心や欲目などの醜い心も出てきます。
妻のせいでイライラさせられ、子供のことで憂鬱が絶えず、常に妻や子供が煩悩をかきたてる縁となるので「家庭」から離れるのです。
商売人が出家した、武士が出家した、というのも、歴史上よくある話しです。
商売していくと、損得感情で常にせわしく、相手の財布のひもを緩ませる駆け引きに長けていき、それで儲けても、さらなる金儲けの方法がわかってきますので、ますます財欲がかき立てられ、心が穏やかになれないので「商い」から離れ、仏門に入る人がありました。
また武士や貴族は、位階や官職を競って、駆け引き、騙しなどの権謀術数、暗殺、戦などの血なまぐささが絶えないので、その権力欲の修羅の世界を厭い、武士や貴族の世界から離れ、出家する人もありました。
家庭、商い、武家、そういった煩悩をかき立てる環境から離れ、心静かに仏道修行に打ち込むために「出家」するのです。
出家の僧は、煩悩から離れた生活をするために、比叡山や高野山といった修行の山に入ります。
酒を飲んだりすると、忍耐心もなくなり、怠惰にもなりますので、山では、酒は禁止。
異性が近くにいると執着や嫉妬を生じ、心が乱されるので、山は女人禁制です。
今日、一日体験修行と称して、高野山などの宿坊に泊まり、朝早く起きて座禅したり、写経したり、精進料理を食べたりするのは、一日、二日くらいの体験だから一つのワクワク体験にもなりますが、出家すれば、生涯肉を断ち、結婚を諦め、娯楽に背を向け、煩悩を抑えていく生活ですから、壮絶な決断が必要でしょう。
親鸞聖人が出家されたのは9歳の時でした。
煩悩によってずっと苦しみ、悩み、罪を造り、人を傷つけ、報いを受けてさらに苦しむ自己の姿に驚き、この穢れた世界から抜け出したいと強く思われたからでした。
出家とは修行して清らかになることなのか
私たちが住む「この世」のことを、仏教では「穢土」といいます。
「穢土」とは、穢れた世界、「煩悩」に穢れた世界ということです。
常に私たちは収入や名声や容姿など人と競い、争い、結果として劣等感で苦しんだり、慢心で驕ったり、嫉妬に身を焦がしたりしていますが、そのような心を「煩悩」といいます。
煩悩によって常に苦しみ悩む人類は、煩悩を抑えるにはどうしたらいいか、常に思索してきましたし、今も書店に行けば、煩悩をコントロールするにはどうしたらいいか、を指南する本が並びます。
親鸞聖人も、煩悩を克服するために9歳で出家され、比叡山で修行に励まれました。
今でこそ比叡山は観光の名所ですが、当時は女人禁制の地。世俗の権力も立ち入ることも禁じられていました。
地位や名誉、財産、家族など近くにある環境だと、愛欲や名利の心で執着が生じ、怒りや恨みも起き、争いになるので、それらを遠ざけるために修行の山に入られたのです。
木や石しか周りにない環境なら、心かき乱されることなく、一途に仏道修行に打ち込めるようになるだろうと思われてのことでした。
ところが清らかな山であるべき比叡山は、すでに乱れに乱れて、この世のことに染まりきっていたのでした。
僧侶は公家や貴族に取り入るために、元来仏教の教えにない加持祈祷に奔走し、庶民からは税を搾り取るだけで相手にしません。
また自分たちの権益を通そうと、道理の通らぬ強訴を繰り返していました。
きらびやかで見栄えのいい寺院や堂塔も、その中は絶えず醜い派閥争いが繰り返されていました。
難行苦行を掲げているのも形だけで、僧たちの生活は乱れきっていました。
そんな当時の僧侶の実態に嫌気がさし、親鸞聖人はこうも仰っています。
「この世の本寺・本山のいみじき僧ともうすも、法師ともうすも、うきことなり」
“この世で名門とされる大きな寺の名僧高僧などといわれるものは、私にはイヤでたまらぬ連中である”
よほどうんざりする思いをされたのでしょう。
たとえ出家して、僧の衣に身を包み、頭を丸めていても、人間は例外なく皆、煩悩の塊ですから、「穢土」でないところはないのです。
いつの時代も、どこへ行っても、この世に「穢土」でないところはありません。
修行の山もそこはやはり「穢土」だったのです。
9歳で出家・修行された親鸞聖人は、なぜ20年後に下山されたか
親鸞聖人は9歳の時、出家され、比叡山に入られました。
ところが清らかな山だと思われた比叡山は、すでに俗世と変わらぬ、煩悩に穢れた「穢土」でした。
見栄えのいい叡山の金堂宝塔も、その中では派閥争いが繰り返され、難行苦行を掲げながらもそれは形だけで、僧たちの個人生活には無数の醜が隠されているのを知られたのです。
周りが不真面目だと、「朱に交われば赤くなる」で、自分だけ真面目に修行しているのがばかばかしくなり、いつしか怠惰で楽を覚えていくのが私たちの常ですが、親鸞聖人はそういう方ではなかったようです。
煩悩にまみれた僧侶を反面教師に、「オレだけでも戒律を守り抜いてみせる」「煩悩を克服してみせる」と、一人固く誓われ、修行学問に励まれるのでした。
その誰よりも真摯な学問修行から、やがて親鸞聖人は、「叡山の麒麟児(きりんじ)」と呼ばれるようになりました。
ところが親鸞聖人は、ご自身の心を真面目に見つめられ、こう仰っています。
「こころは蛇蠍(じゃかつ)のごとくなり」
“親鸞の心の中には、醜い蛇やサソリがうごめいている”
蛇やサソリを見た時、背筋がぞっと寒くなるような、気持ち悪い感じがしますが、この蛇やサソリの心とは、他人の幸せを妬んだり、他人の不幸をくすくす笑っている心のことです。
わが身ながら、なんて醜い心だろうとぞっとする心です。
親鸞聖人は、妬み嫉みの心がとぐろを巻いているご自身の心に驚かれたのです。
醜悪さを隠蔽している比叡山を責めるお気持ちの親鸞聖人でしたが、それ以上に醜悪な心を隠しているのが、他ならぬ私の実態ではないか、と愕然とされたのでした。
どうしたら、この煩悩の火を消すことができるのか、決死の修行に取り組まれるものの、どうにもならないご自分の醜い煩悩に苦しまれ、こんな心のまま死んだらいったいどうなるのか、不安な心に居ても立ってもおれなくなり、ついに比叡山を下りられたのでした。
9歳で出家されてから、20年の月日が流れていました。
その後間もなく法然上人とお遇いされ、煩悩の塊のまま救われる本当の仏教を知られた親鸞聖人の喜びは、余人の想像を絶するものだったでしょう。
「もし法然上人にお会いできなかったら、せっかく人間に生を受けながら、二度とないチャンスを失い、永遠に苦しんでいたにちがいない。親鸞、危ないところを法然上人に救われた」と感泣されているお言葉が残されています。
ここに「出家」せずとも、「在家」のままで救われる大道がひらかれたのです。
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