ブッダの説く「天上天下唯我独尊」の真の意味とは

『セールスマンの死』に見る人間の悲劇
A・ミラーの代表作『セールスマンの死』の一節に
「家の最後の払いは、今日すませました……。借りも払いも、みんななくなったのよ。これで、自由になったのよ……」。
と帰らぬ夫に妻は語り続ける場面があります。
昔やり手の営業マンが、老いて業績を下げ、入社時にはまだ子供だった若社長に解雇され、ローンは払えず、息子には背かれ、それでもなお「出世」にしがみつく。
最後、自己の存在を示そうとしたのが、自殺で保険金をもらうことだった、というストーリーです。
裸で地上にやって来て、裸で地下に去ってゆく人間の悲劇を描いたこの作品は、「何のために生まれ、何のために生きねばならないのか」と静かに問いかけてきます。
人の一生は何に使われるか
人の一生の大部分は、仕事に費やされます。
年収500万円の人が40年働いた賃金は、2億円です。
稼いだお金は何に使われるか、分類してみましょう。
3分の1は税金・保険料です。
大ざっぱな計算で食費に3千万。住居費は首都圏でマンションを構えると5千万。大学までの養育費は公立で1千万、私立は2千万。
残ったお金で衣服を買い、公共料金を払い、電気製品などをそろえます。
病気になれば、まだまだ必要でしょう。
自由なお金はほとんどありません。
私たちの時間もお金も体力も、ほとんどは、生きるために使われているといえましょう。
人命はなぜ尊いのか
生涯で稼ぐ賃金が2億円と聞いて「だから、その人の命の価値は2億円です」なんてことをもし口にしようものなら、大変です。
政治家なら辞任を迫られ、教職者ならPTAで取上げられ、ブログなら大炎上を招くでしょう。
「何を馬鹿なことを!人の命にはお金には換えられない尊さがあるんだ」とみな言うでしょう。
ではその【お金では換えられない人命の価値】って、いったい何でしょうか。
人命の尊厳の理由はどこにあるのでしょうか。
その答えを本当によく知り、みなにも伝わっていれば、社会問題ともいえるおびただしい自殺者はないはずです。
大学をきちんと卒業し、正社員として雇用され、きちんと勤め上げている人で、生涯賃金2億円。
そうして得られた賃金2億円も、生活のためにほとんど使ってしまいますから、どれだけ手元に残ることか。
その遺産も、子供たちのケンカの種となり、人生の晩年を辛い思いで過ごす人は少なくありません。
いったい「人命は尊い」といわれる根拠はどこにあるのでしょう。
一方、上野で生まれたパンダの赤ちゃん「シャンシャン」の経済効果は約267億円だそうです。
死なせてはならないと、上野動物園内だけでなく、都も国も一生懸命になるのは、よく分かります。
一人の男が生涯の時間、体力、気力を注ぎ込んで、2億円。
パンダの赤ちゃん、267億円。
比較してみると、なんともいえない気持ちになります。
人命の尊厳の理由はどこにあるのか・・・
パンダの赤ちゃんの命よりもずっとずっと重い、人命の重さの根拠は何なのか。
お金ではない、尊厳な理由がある筈ですが、それは何か。
この人命の重さの理由を徹底して問題にし、明らかな答えを示されたのが『天上天下唯我独尊』と宣言された釈迦牟尼世尊、お釈迦さまです。
人命の尊さの根拠『天上天下 唯我独尊』
約二千六百年前、釈尊は、インドのルンビニーという花園でお生まれになられました。
そこから今日、お釈迦様の誕生なされた4月8日を「花祭り」といわれるようになりました。
そのご誕生の際、右の手で天を、左の手で地を差し、「天上天下 唯我独尊」と仰有ったと伝えられています。
「天の上にも、天の下にも、この大宇宙広しといえど、ただ我のみに成し得る尊い目的がある」という言葉です。
「唯我独尊」の「我」とは、決して釈迦だけのことをおっしゃったものではなく、人間一人一人のことです。
「天上天下 唯我独尊」とは、【犬や猫でもできない、パンダでもできない、人間に生を受けた者でしか果たすことができぬ尊い目的、かけがえのない使命があるのですよ】と宣言された釈迦のお言葉です。
では人間しかできない尊い目的、人生究極の目的、とはなんでしょうか。
実にその答えこそ、『天上天下 唯我独尊』に続く偈(うた)の下の半偈『三界皆苦 吾当安此』と釈迦は説かれています。
その意味を正しく知ると、まことに生きる意味を説き明かされた釈迦のご生誕にふさわしい宣言と味わわずにおれません。