知識と智恵(知恵)の違いとは。仏教の視点で解明する

「知識」と「智恵」の違いを仏教では教えられます。
「仏教を聞く」のは「知識を蓄える」のが目的ではなく、「智恵を体得」するのが目的です。
では「知識」と「智恵」とは、どう違うのでしょうか。
知恵と知識の関係とは
先日、高校生クイズ選手権決勝をテレビでやっていたのですが、そのレベルが尋常じゃないのです。
「スリランカの首都はどこ?」
「スリジャヤワルダナプラコッテ!」
ピンポン正解。
「古事記で天岩戸に隠れた天照に舞を舞った登場人物の名前は?」
「あめのうずめのかみ!」
ピンポン正解。
・・・こんな感じ。
こいつら、何食べてこんなに知識あるんだ?と関心を通り越して圧倒されてしまいました。
こんな人はいつの時代でも重宝がられるし、大事にされます。
すごい人だなと感心もされます。
しかし人生かけてこの人についていきたいと、尊敬できる人かどうかというと、話は別です。
重宝がられるとは言いましたが、今日は昔ほど貴重な存在とも言えなくなりました。
インターネットが世界を変えてしまったからです。
スマホで検索かければ有力な情報は瞬時に手に入る時代ですし、ヤフー質問箱に投稿すれば、すぐこちらの質問に答えてくれます。
情報社会に生きる私たちにとっては、知識量より、知識を活かす智恵こそが求められます。
「知識」をどのように活用すれば幸せになれるか、その「智恵」ということになると、今なお混迷を深めています。
しかしその智恵こそが、幸せになりたい私たちにとって最も重要です。
船でいうならば羅針盤にあたります。
智慧を磨くことをおろそかにしていると、知識は宝の持ち腐れどころか、悪用されることだってあります。
科学も、医学も、心理学も、経済学も、政治学も知識です。
あらゆる知識を的確に活用し、「生きてきてよかった」という人生の勝利者になるにはどうするか、仏がその智恵を持って説かれたのが仏教です。
知識を如何に生かすか、使う者の智恵にかかっている
アリストテレスが「哲学は学問の王道である」と言ったのも、あらゆる学問の知識の根底に、それら知識を幸せに生かす智恵がなければならないと示唆した言葉です。
【経済】という言葉は、「経世済民」という中国の古典にある言葉からくるもので、「世を經(おさ)め、民を濟(すく)う」という意味を持ちます。
本来、経済活動は、その目的とするところは人々の救済であり、人々を幸せにすることにあるということが、言葉からいってもわかります。
【政治】も国民を幸せにするために存在し得るもので、世のため、人のための政治でなければなりません。
現在なら消費税増税施行に支持する人が過半数だそうですが、その実施時期は何時か、何%アップするか、人々の幸せを考慮して政治家は決定してくれることを期待したいです。
もし周りの人の幸せには無関心で、自らが私腹を肥やすことしか考えていない政治家があれば、これは当然、政治の世界から退いてもらわなければなりません。
【科学】は真理の探求ですが、その発明や発見が人間の幸福につながるものでなければ片手落ちです。
近代科学は兵器にあこがれる、という言葉がありますが、20世紀になってからの最先端の科学は、軍事にまず使用されてきた歴史があります。
戦争をし、殺し合うための科学ならば、これは排斥されねばならない学問となります。
【医学】の目的は、人々の病気を治し、怪我を治療し、健康に長生きできるようにするためにある、これはわかりやすいかと思います。
今日の日本の政治、経済、医学、科学は、戦後70年で大きな変化を遂げましたが、未だ私たちは幸福にはいたっていません。
政治、経済、医学、科学、それら諸学問の知識を如何に生かすか、を明らかにする智恵が希求されています。
心理学もコーチングも生き方であり、智恵を説くものではない
南青山で心理学のカウンセラーをされている方が、仏教を聞きに講座にこられました。
「心理学は山登りでいえばピッケルを与えてくれるが、頂上は教えられないし、自分もわからない」とストレートに言われていたのが、心に残りました。
「プラス思考で生きる」
「強くしなやかに生きる」
「クヨクヨせずに生きる」
「肩の力を抜いて生きる」・・・
様々な生き方本が本屋に並び、識者や成功者によって勧められます。
そしてどのようにしたらそのように生きられるか、心理学は様々なノウハウを教えてくれます。
脳医学や行動科学といった学問も同様に、そのためのヒントをいろいろ示唆してくれています。
その知識の習得もとても大事ですが、もっと大事なのは、プラス思考で【○○に向かって】生きる、クヨクヨせずに【○○に向かって】生きる、その【○○】こそが大事でないでしょうか。
プラス思考で振り込み詐欺に向かって生きれば、とても勧められた生き方とはならない。
そこはこんな詐欺行為はいいんだろうか、とクヨクヨしてもらわなければならなかった。
どうしたらプラス思考になるかの研鑽より、どこに向かってプラス思考になればいいか、その吟味こそ優先されなければなりません。
「ここに向かって生きるならば、露命散らしても悔いなし」というはっきりした人生の目的があれば、心理学の本を読まなくてもプラス思考になるし、つまらぬ目の前のことにクヨクヨしている暇はないのです。
心理学は登山のピッケルではありますが、肝腎の山の頂上はどこなんだろうか、この方角こそまず第一に検討されるべきでないでしょうか。
シッダルタ太子(のちのお釈迦さま)が出城入山された動機も、この人生の目的ひとつはっきりさせたいとの思い一つでした。
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