成功者が幸せな人とは限らない実態を教えられた『有無同然』の教え

仏教に『有無同然』という言葉があります。
財や名声は有っても無くても苦しみは変わらない、と説かれた釈迦の教えです。
今回は『有無同然』の実態をさまざまな事例からお話しします。
目次
水戸黄門の副将軍の名声も有無同然だった
ただ見れば何の苦もなき水鳥の 足にひまなきわが思いかな
天下の副将軍、水戸黄門で有名な水戸光圀の歌です。
「仕事仕事でいやになる。あ~あ、たまには温泉旅行でもしたいなあ」と嘆く人の多い中、水戸黄門は全国を慢遊して各地を観光している。お金は困らないだろうから、地方の名産品を食べ、温泉に入る。腕っ節のいいガードマンを連れ、旅先で気に入らない者は「助さん、角さん、やってしまいなさい」とこらしめる。いざとなれば印籠を出せばひれ伏さないものは日本中にいない。かくて今日も高笑いの慢遊記です。
「いいな、水戸光圀は・・・・・・」
庶民からはうらやましい限りの人生に見えます。
ところがその水戸光圀が『ただ見れば何の苦もなき水鳥の 足にひまなきわが思いかな』「川面に遊ぶ水鳥はスイスイと気持ちよさそうだ。ところが水中では暇なく足を働かせている。私も人知れず、いつも心の休まることがないのだ」と述懐しているのです。
水戸光圀は将軍綱吉とも常に不仲で、心労を重ねました。
また66歳では光圀の地位失脚を画策する重臣を刺殺しています。
上からは叩かれ、下からは突き上げを食らう、一管理職だった姿は今日と同じです。
いかなる人も、涼しげな顔の裏に、渋面を隠しているのでしょう。
仏教では、これさえあれば満足できる、幸せになれる、と人々が躍起になって追いかけている地位や名誉も「有っても無くても苦しみは変わらない」『有無同然』と喝破します。
銀河鉄道999で行く理想的な星も有無同然だった
松本零士のマンガ『銀河鉄道999』は、鉄郎が謎の女性メーテルとともに、不老不死の機械の体をくれるという終着駅(幸せ)を目指すというストーリーです。
その中にこんな話があります。
そこは科学文明がめざましく発達した国です。
しかもその科学が、戦争や犯罪に使われることがない。その辺が今日の地球と違います。
オゾン層破壊とか、環境ホルモンとか、核ミサイルとか、科学の負の面がなく、すべて人間が便利に、快適に生き易くなることにのみ科学文明が使われている、まさに理想社会です。
第一次産業、第二次産業、第三次産業、生産は全部ロボットがやってくれる。農業も林業も漁業も人間が汗を流す必要もない。重工業、製造業も、仕事は全部ロボットがする。店員もウェートレスも、すべてロボットがするので、人間はそのサービスを甘受するだけで、仕事しなくていい。「カツ丼食べたい」といえば、即座にテーブルの前にロボットが用意する、しかもレトルトではない。鉄郎は「ここは夢のような星だ。理想郷だ」と思います。
ところが意外なことに、その星の人はみんな目がドロンとして、生気のない、つまらなそうな顔をしているのです。
働きもせず、“食っちゃ寝”を繰り返し、楽ばかりしているからブクブクと太ってしまってます。
もちろんどれだけ太っても、医学も発達していますから、生活習慣病にもならないのですが、なにしろ皆つまらなそうなのです。
鉄郎は、その星の人と接し、理想郷なんかではないことを知ります。
「この星は便利だ。だけど充実がない」
40年前くらいの漫画ですが、21世紀の現代に生きる私たちの心を予言しているかのような内容でした。
科学は、確かに生活を便利にします。
しかし、「充実」は、便利さとは関係なく、人間の心に委ねられているのでしょう。
NBAのスーパースターも有無同然だった
バスケットのスーパースター、マイケル・ジョーダンは、スポーツの世界において、もっとも有名で、カリスマ性をもった選手の一人でした。
そのジョーダン、シカゴブルズ3連覇後のシーズンオフに突如引退します。
全盛期にあっての引退は「ジョーダンじゃないよ」とNBAとメディアに衝撃を与えます。
引退の胸の内をこう語っています。
ときどき、僕がマイケル・ジョーダンじゃなかったら、って思う。僕は朝食に子供たちと一緒にパンケーキを食べて、幼稚園に送り迎えする、というみんなと同じように、普通の家族として、家族がやっていることをやりたいんだ
世界一非凡な才能の男の憧れは、平凡な生活にあったのです。
ところが、1年後にまた復帰。
理由を聞かれたジョーダンは、「足の裏がかゆくて、かくために戻ってきました」と言ったそうです。
憧れの平凡な生活がかなったものの、家にいても何もやることがない。1ヶ月もすれば飽きてしまう。テレビをつければ、かつてのチームメイトが活躍している。俺が出れば……と足がむずむずしてくるのでしょう。
その後、何度か引退と復帰をくり返しました。
苦は色を変えるだけで、左肩の荷物を右肩に移すようなものなのでしょうか。
松下幸之助も有無同然だった
銀座に本拠を置く経営コンサルタント会社が破産しました。
赤字解消の商品戦略などを企業に提案してきた会社が実は約18億円の負債をかかえていた、というのですから、笑い話のようですが、よくある話しで、経営の難しさが知らされます。
しかもその会社は2年前には約58億円の売上げを計上していたというのです。
それが2年間で資金繰りに苦しむようになり、この度の破産申請となったとのこと。
1ヶ月58億円の売上げと聞けば、私たちからすると「あれだけ儲ければお金の心配から解放されて気持ちいいだろうなぁ」と思いますが、実は金額の桁が違うだけで、金銭の悩みはまったく変わらないようです。
そんな人は、その分人件費や設備投資とか税金とか、やはり支出も何10億ですから、安心どころか、常に倒産の不安にさらされています。
ゼロの桁が二つ、三つ違うだけで、お金のことで憂鬱な思いをしているという点では一緒なのです。
晩年の松下幸之助は、個人としての収入が年間約10億円だったそうですが、やはりお金の悩みから解放されない胸の内をこう述懐しています。
私の場合、まあ年に10億程度の個人収入があります。
ところが80%近くが税金で引かれるので残りの2億円をどう使うかというと、個人の生活に使うわけです。
具体的な使い道を言えば、私もまず、食べていかなければならん、ということで食費がかかります。
食の他に、衣にも住にも金が要ります。
しかし何よりも大きいのは、交際費です。
例えば今はもう定年退職になっている方が多いですが、私と同じところから働いている人が千人ほどいるわけです。
それらの方々に、家族もいれば孫もいます。
そして孫が結婚する時代になりました。
そうすると、その他冠婚葬祭が多い時は月に20~30あります。
私の立場では1万円というわけには行きませんから、仮に10万円包んだとしても、2、3百万円は必要なことになります。
年にすると、それだけで3~4千万円かかるわけです。
その他に、年に2回中元と歳暮が必要です。
そうするうちに10億という収入がみんな消えてしまう。
生活費が足りなくさえなりかねません。
ゾウが一日食べる量は、青草60キロ、干し草7キロ、わら6キロ、バナナ3キロ、パン1キロ、固形飼料5キロ、竹10キロといいます。
これをロバが見たら「なんてゾウは豊かなんだ、恵まれているんだ」とうらやむでしょうが、ゾウは毎日これだけの量の餌が供給されなければたちまち餓死してしまうので、自分のことを豊かで恵まれているとは思えないのと同じです。
お釈迦様は金銭のことで悩む人間の実態を、カネの無い者がカネが欲しくて悩むのを『無財餓鬼』といわれ、カネのある者がもっと欲しいと苦しむのを『有財餓鬼』と説かれています。
有っても無くても、皆カネのことで苦しんでいるのです。
あのジョン・レノンも有無同然だった
ビートルズのジョン・レノンは、苦しい胸のうちをこう述懐しました。
有名になれば、自分の思いどおりに活動できると思っていた。気づいたら……自由は完全に奪われてしまっていた
無名の時は、有名になれば自由になれると思い、有名になれば、そのことで自由がなくなります。
無い者の苦しみは、“鉄の鎖”につながれる苦しみであり、有る者の苦しみは“金の鎖”に縛られる苦しみである。「鉄の鎖」であろうと「金の鎖」であろうと、縛られて自由が利かず、苦しんでいることには変わりがない、と説かれています。
名声だけではありません。
この世の一切は「有無同然」と教えられているのです。
株や不動産を持たない人は、それらの不労所得のある人がうらやましい。
株や不動産を持っている人は、その価値が変動することで神経をすり減らしている。
リーマンショックの時に大損して、こんなことなら持っているんではなかったと後悔する人が続出しました。
アパート暮らしの人は、マイホームを建てることにあこがれ、マイホームを持つ人は、維持や管理で悩む。
独身の時は「結婚したら、どんなに楽しいだろう」とあこがれ、結婚すれば「早まった。独身時代に戻りたい」と後悔する。
サラリーマンは経営者の自由に憧れ、起業すれば、サラリーマンの安定収入をうらやましくなる。
平凡な人は非凡に憧れ、非凡な人は平凡な日常に戻りたい。
子供のない人はないことで悩み、子供のある人は子供のことで悩んでいる。
大勢といると気を使い疲れる。一人でいると何となく寂しい。
夏になると冬が恋しく、冬になると夏が待ち遠しい。
本当の自由や幸せはどこにあるのやら・・・・
釈迦の答えを聞いてみましょう。
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